この日記は7月22日の夜に下書きしたものです。

 

7月23日の朝にアップの予定ですが、今宵は酔っていて、なにか失礼があったらご容赦ください。

 

 

 

市川駅で下車したのだけれどもシャポーは大きく変わっていました。

 

こちら側ではなかったとは思うのですが、改札を出たらたしかタンネがあって、たまに豆を買ってましたよ。

 

本店に行くよりシャポーで買ったほうがはやいですからね。

 

もちろん本店もシャポーの店もなくなったことは知っていたのですが、コメダがあって並び客がいました(笑)

 

船橋を歩いていた頃はたまに市川のシャポーの地下にも行ってましたが、10年ぶりになるのか?、どのくらい前だかわからないけど行ってみました。

 

 

KINOKUNIYAに森傳の海苔があるのを確認して、もう少し見てみたのですが。

 

 

ものすごい数のそうめん。

 

写真の上のほうにもまだまだありました。

 

なんだ?この黄色いそうめんは!!

 

 

そうめんじゃなくて揖保乃糸の中華麺でした(笑)

 

はじめてみましたよ。

 

自分、シャポーから外に出て、歩いていて、思ったのです。

 

市川も船橋も顔をなくした町になったと。

 

よくよく考えて、思い出してみれば、船橋のシャポーに東魁楼があったじゃないですか。

 

そして町にも2軒あったでしょ。

 

あと船橋のシャポーの二番亭は大好きで何度も行っていたけど、実は市川のシャポーにもあったでしょ。

 

外観写真 : 【閉店】二番亭 市川店 - 市川/中華料理 | 食べログ

 

自分はその昔に船橋と市川の二番亭について書いています↓

 

二番亭 船橋@船橋と市川と閉店 | 船橋に憩う

 

 

それと市川にも東魁楼があったでしょ(笑)

 

ちょっと話しは飛んでしまうけど京成大久保の東魁楼のラーメンはほんとうのほんとうのその昔の船橋の東魁楼のラーメンに

一番近いのだということをシャポーの東魁楼の方からきいたことがありますよ。

 

大昔に船橋の東魁楼で働いていた人が独立して大久保に出した店だしその昔さながらのラーメンを出していたと言うのですよ。

 

二番亭は船橋発祥ではないと二番亭の方からききましたが、それでも二番亭は船橋が一番有名だったじゃないですか。

 

市川シャポーの二番亭は市川にもあるといった感じだったでしょ。

 

市川のシャポーには東魁楼もあったと記憶してますが、やっぱ東魁楼は船橋でしょ。

 

戦後すぐに海老川のあたりに木造の店が建ったそうですよ。

 

そして戦争が終わって戦前は八百屋だったという竹乃家も海老川近くにできた東魁楼さんに続き海神町に誕生したのですよ。

 

僕はあちこち船橋で飲んではいろいろな人から船橋の話しをききました。

 

東魁楼のご主人はここには書けないですが世間の人からあまりよく思われていないという事情があったからものすごく奮起して

頑張ったという話しもききました。

 

だから船橋の老舗中華料理屋と言えば東魁楼ということになったわけです。

 

あともう少し書かせてください。

 

 

やはり歴史が古い中華料理店といえば栄華光があるでしょ。

 

その昔に家庭料理こころという料理屋があってご主人から大昔の船橋の話しをきいていましたが、

 

栄華光は土の上に建てた店だったそうです(笑)

 

お客さんは土の上で食べていたそうですよ。

 

60年くらい前の話しだと思います。

 

僕は船橋で40年前に働いてましたが、南口から歩くと栄華光があって、現在の移転した栄華光の前の栄華光とたぶんかわらない

外観だったと思います。

 

そうそう・・・絶対記憶がたしかなのはあの開かずの踏切ですよ。

 

どんだけあの踏切で待っていたことか(笑)

 

そしてこのブログにたびたび登場する「こうちゃん」

 

あの踏切をなくし京成船橋駅をリニューアルする記録VPの制作のプロデューサーだったのです。

 

だからこうちゃんは毎日船橋に行っていたんでしょうね。

 

あの当時のことをよく知っていて、僕に船橋を案内してくれたこともありました。

 

日本テレビで一番頑張っていた制作会社にいたこうちゃんです。

 

でもね・・彼はたしかに早稲田大学卒のインテリだけどちょっとはほらもまじっているのではなんて

思いますよ。

 

プロデューサーと言ってもどこまで仕事していたのかね、なんてね。

 

自分は武蔵大学だし、早稲田大なんかとは比較にもならない大学です。

 

だからこうちゃんのことは一目置いているし、すごいやつだと思ってます。

 

まあ、酔っぱらっているからそのまま書きますが、こうちゃんとどうでもいいような話しをしていても、

やっぱこいつはインテリだなあと思うんですよ。

 

なかなか、上智、ICU、早稲田、慶応って入れないですからね(笑)

 

どんだけ、こうちゃんと船橋で飲んだか!!

 

浜町商店街にあった億龍とか・・・本町の香宮・・あまから屋はもちろんのこと・・・船橋で一番すごいインドカレーと

僕が思っていたマハラニとか・・・

 

それとこうちゃんは僕とは無関係に大久保の桂香にも行ったことがあると話してくれたことがありました。

 

このあいだ撮影現場で話しをしていたら、環七のあの土佐っ子とか、新杉田の吉村家とか、慶応大学の二郎本店とか、

自分より広くラーメンを食べてるんじゃね?なんておもいましたね。

 

まあ船橋のことはよく知っている人だしすごい人です。

 

僕は酔ってますが、この日記を明日にアップするのはやめました(笑)

 

7年前になるのか・・・2019年の今頃・・・僕はマグロオヤジさんの企画ではじめてのオフ会をすることにしたのですよ。

 

誰もこないかなあと思ったのですが、4名ほど来てくれたのです。

 

みんな船橋を愛する面々でした。

 

でもその前に、もっと大昔に僕たちはワイズマーマンさんとか、いろいろで船橋に集まって楽しい時間を持っていたのです。

 

2005年とか、そのくらい昔です。

 

みんな船橋が好きだったのですよ。

 

僕から誘われて船橋まできたのかもしれないし、船橋なんて知らなかったかもしれないけど、あの時、僕たちは船橋で

楽しんだし、大満足したじゃないですか。

 

あれから20年以上がすぎて僕は孤独となりました(笑)

 

孤独と言っても船橋ではという孤独です。

 

僕が船橋を離れていったのではなく、船橋が僕を遠ざけたのですよ。

 

行き場を亡くした僕は蒲田に居場所を変えました。

 

でもその蒲田に僕の演劇の仲間たちが集っています。

 

鳥万なんてボロボロの大衆酒場まではるばる足を運ぶ面々です。

 

だんだんと仲間も増えて次は女性も加わる話しもでています。

 

市川から東魁楼も二番亭も消えて顔がない町になり、船橋だって再開発で更地になったようなものです。

 

かつての仕事仲間だったU君のビルも先日船橋に行くとものすごいマンションになっていました。

 

梅もととかもつ焼きの店があったあのビルですよ。

 

僕が思っている船橋も船橋に住んでいる人たちの船橋も一緒です。

 

同じく船橋を愛するものたちです。

 

いったいあの船橋はどこに行ってしまったのか。

 

ごめんなさい・・・酔っぱらっていろいろ書いてしまいました。

 

そして明日アップと書きましたがこの時間にアップします。