帰宅しました。

 

いきなりですが、平成元年にこの世界にいましたか(笑)

 

今から37年前だからそのとき生まれた方は37歳です。

 

37年前の僕は武蔵関駅から徒歩15分くらいのところにある「グロースマンション」に住んでいて、

そこは武蔵関公園と目と鼻の距離でした。

 

線路沿いのマンションで、今もまだ僕が住んでいた頃となにもかわっていません。

 

 

20代の僕はサラリーマンをやめて映像プロダクションの一員として働いていました。

 

 

でも本業以外にも半蔵門会館で婚礼カメラマンのアルバイトもしていました。

 

平成元年は好景気だったし半蔵門会館での婚礼カメラマンの収入はサラリーマンの月収程度でした。

 

婚礼は土日祝なので土日祝だけでサラリーマンの一か月分の働きでした。

 

半蔵門会館のビデオ室の長は金子部長でした。

 

大安吉日など婚礼の件数が多いときには部長から電話がありました。

 

一日に3本の撮影となるのでお弁当持参で来てくださいといった内容の電話です。

食べ物を買いに行く時間もないほど忙しいからです。

 

あの頃は新入社員に14カ月分のボーナスが出たとか、ともかく日本は好景気でした。

 

だから婚礼カメラマンだけやっていても生活できたといった高収入でした。

 

そして僕の本業は演劇、音楽、バレーなどの収録で、一本の撮影が

サラリーマンの一か月分の給与相当でした。

 

1本撮影すれば一か月暮らせたのです。

 

だからお金のことはなにも考えることなく暮らしていました。

 

婚礼カメラマンは当然ながらスーツにネクタイです。

 

武蔵関からスーツにネクタイで高田馬場駅下車です。

 

20代の僕は半蔵門会館に遅刻しないように時計を見て、5分とか10分とかだったらここで食べることができると

いうことで、ガード下にあった「ポニー」というやきそばとカレーの立ち食いスタンドで時計をみながら食べていました。

 

一番安いのは「やきそば」

 

あとはコロッケトッピングとかベーコンとか野菜とかいろいろあったような記憶です。

 

中近東というのか、そういった外国人だけが調理していて、あやしげな立ち食いスタンドでした。

 

やきそばは少なくなると大量に焼きます。

 

そしてできあがった焼きそばは鉄板の脇にまとめられます。

 

出来立てはおいしかったです。

 

肉も野菜もほとんど入っていない焼きそばでした。

 

あとはカレーも出していました。

 

それも特別おいしいということもないカレーでした。

 

なかなか思い出せないのだけれどもカレーと焼きそばのあいもりがあって、そいつがものすごくデラックスで

、お金があるときはそれを食べていました。


 

ポニーで食べているのは全員男性です(笑)

 

女性は怖くて食べることはできなかったでしょう。

 

全員男性なのですが、9割はオヤヂでした(笑)

 

自分はいつも一番わかかったです。

 

おっさんたちにまざってがつがつとやきそばとカレーを食べていました。

 

そして半蔵門会館のビデオ室に行くのです。

 

白川さん、田子さん、雨田君、端野さん、浦辺君・・・カメラマンは僕を含めてその6名だったかな。

 

白川さんはサラリーマンで月金で働いて土日は婚礼カメラマン。

 

つまり365日休みなしといった人。

 

僕たちより年上でした。

 

田子さんは役者。ともかく明るい。冗談ばかり言っている。

 

雨田君と端野さんはおとなしい。

 

でも端野さんは競馬が好きで風俗も好き(笑)

 

競馬で勝つと風俗といった変態でした。

 

そんな楽しい仲間が狭いビデオ室にあつまり、そこにはトップの金子部長と小野主任・・・そしてしゅうちゃんのニックネームの滝沢修さん。

 

金子部長を除きみんな20代、30代。


 

あと上に書いたメンツ以外にケーブルマンという学生アルバイトさんたちもいました。

 

高田馬場駅でやきそばなりカレーなりかきこんで半蔵門に来た僕・・・・

 

お昼はどうしていたかと言うとごくうでした。

 

 

 

 

半蔵門ってあんまお店がなくて弁当屋さんもないし弁当はごくうだったんでしょうね。

 

お昼になるとごくうの弁当を誰かがまとめて買いに行くんですよ。

 

ともかく冗談、笑い、それだけのビデオ室だし、誰が買いにいくかも冗談まじりで笑ってきめるんです。

 

半蔵門会館からごくうまではまあまあ歩くしみんな歩きたくなかったわけです。

 

そんな37年前の僕を思い出していました。

 

ごくうはまだあって営業しているということは数年前に知りました。

 

今日、収録が終わり半蔵門にさしかかったときにナビでごくうにきりかえ37年ぶりに行ってみました。

 

 

 

僕たちはごくうで弁当を買っただけだしたぶん誰もごくう店内でラーメンとか食べたことはなかったでしょう。

 

まだ弁当のコーナーはありました。

 

 

 

37年前と今とでなにがどう違うのかなんてナンセンスですよね。

 

だいたいに僕が37年前にどんな弁当を食べたかなんてまったく忘れているしね。

 

ただなんとなく、うっすらと弁当の売り場にはおばちゃんがいたような記憶であります。

 

あと麺類のテイクアウトなんかはやってなかったという感じですな。

 

今日はハンバーグ弁当730円を買いました。

 

 

 

 

 

 

別になつかしいとかそんな思いもなく・・・

 

だってなにを食べたかすら忘れているわけだしなつかしいもなにもあるわけないじゃないですか。

 

でもこのハンバーグ弁当はおいしかったです。

 

できあいの冷凍食品のハンバーグなのかもしれないし、デミグラスソースだってできあいのものかもしれないけれども、

充分おいしくて満足できました。

 

こうして書いている僕は酔ってますが、過去にはなにもないです。

 

ただ37年間、大きな病気もなく生きてこられたということはすごいことだと思います。

 

僕たちは今を生きているし、今とこれからだけが大切と思います。

 

過ぎ去った過去をふりかるのはよぼよぼの老人になってもできることだし、

 

37年ぶりにごくうに行ったこともこれで終わりです(笑)

 

半蔵門会館の楽しい仲間たち。

 

すべては過ぎ去ったことであり、記憶の中にあってだんだんとその記憶も薄れてなくなっていくと

いっただけのことであります。

 

端野氏は半蔵門会館にいた頃はそれほど親しくはなかったけど半蔵門会館がなくなってから親しくなり、

ずっと仕事も一緒だし一緒に飲むことも多くなり親友となりました。

 

船橋でもよく飲みました。

 

蒲田の鳥万に初めて一緒に飲みにいったのも端野です。

 

でももうずっと昔に彼は死にました。

 

僕は忘れないです。

 

そしてミサの時には毎回ではないけど端野のことを祈ります。

 

でもみんな死にます。

 

順番の違いです(笑)

 

大切なのは今だしこれからです。

 

な、わけで酔っ払いトークはこれにて。

 

サムとハロルドのDVDも完成したので就寝です。