元町中華街 買い出し日記❸ 鳥万本店@蒲田駅西口

 

 

ちょっと中華街からいったん離れましょう。

 

背負うタイプのカメラバックと大き目のクーラーボックスいっぱいの荷物を持って元町中華街駅へ。

 

Tシャツには長めのタオルを首から胸まで入れて、顔と首をハンカチでふきながら急行に乗った。

 

 

横浜駅乗り換え。

 

いつものように人でごった返している。

 

家系総本山吉村家詣は僕にとっての年間行事。

 

年間と言ってもだいたいは2年おきくらいに詣でていた。

 

ただ移転した吉村家は最長で4時間並ぶときいているので夏はあきらめている。

 

4時間というのはまれだろうけど1時間並んでも死亡する可能性がある(笑)

 

 

ブログがだぶつくからとっとと先にすすめばいいとは思うのだけれども、今宵はイタリア産の白ワイン一本を

空けてしまうところでほんの少し吉村家の思い出話しをさせていただきたい。

 

 

 

 

20年くらい前の僕は写真についてはずぶの素人だし写真の仕事についてはだいたいは専門のカメラマンにお願いしていた。

 

 

香月さんという女性カメラマンが10年以上前から写真を撮ってくれていた。

 

写真の学校を卒業しスペインで撮影の仕事をしていた女性カメラマンだ。

 

僕がガウディのサグラダファミリアはすごかっただろうと言うとそうでもなく、

スペインで見た風景で一番印象に残ったのはどこそこの夕暮れだったと話してくれた。

 

そんな香月さんと横浜で仕事をしたときにお昼を食べるところがおもいつかず、ラーメンでもいいかときいてみると

いいと言う。

 

それで一緒に吉村家に行った。

 

ちゃんとした食事ではなくラーメン一杯ってこと大丈夫だろうかと心配だったのだけれども、

 

彼女はラーメンを口にするとすごく美味しそうな表情となったのだ。

 

食べ終わっておいしかったと満足してくれたようだった。

 

それからしばらくして香月さんと会ったときにあれから家系ラーメンが好きになってあちこち食べ歩いていると

きいてびっくりした。

 

う~~ん、やっぱりパイオニアっていうのはすごいんだなあと思った。

 

吉村社長はラーメンショップで修行したそうだけれども、たしかにそこからヒントを得たとしても、

誰も考えつかなかった独自のラーメンを創造したということは「天才」の名にあたいするだろう。

 

30年前にラーメン食べ歩きをはじめた僕だけれども当時一番惚れ込んだラーメンは新杉田のラーメンだった。

 

吉村社長は僕たちが食べている目の前でお弟子さんを教えていて、声を出してけとばしたりしていたこともあった。

 

今でこそ、それはパワハラということになるけど、吉村社長はラーメンにそれだけ命をかけていたということが

僕たちにも伝わってきた。

 

そして今も僕は吉村社長を尊敬している。

 

あのラーメンをこえることはできない。

 

やっぱりはじめになにかを生みだしたということはとてもすごいことなのだと思うのだ。

 

 

新杉田時代は産業道路沿いにあったわけでトラックの運転手さんとかそういったガテン系の人たちが喜ぶ味だったときいたことが

ある。

 

ものすごく長い行列だったけど、スーツにネクタイという人は見かけたことはなかった。

 

作業服を着ていたり、だいたいそんな感じだった。

 

僕はあの頃の吉村家の味がすごく好きでわざわざ東京から新杉田へと通っていたのだね。

 

さあ、話しを戻そう。

 

 

買い出しで時間がかかったから久しぶりのゆーシティー。

 

 

2時間半のショートステイだ。

 

 

鳥万は16時開店で15時50分に並べば二階カウンタ―席に座ることができる。

 

でも二階カウンタ―席は1時間ほどすると常連さんたちが退席する。

 

だから17時過ぎに行くとだいたいは座れるのだ。

 

ただ絶対というわけではないから2時間半の入浴にして15分前に並んだ。

 

 

瓶ビール。

 

席料とお通しは180円(笑)

 

 

自分はまだ生ビールを飲んだことがないのだけれどもおそらくは生ビールのほうが冷えていていいのではと思う。

 

 

 

 

前回、値段がわからなかった枝豆だけれども300円か320円。

 

中国産冷凍ではなく国産と思われる。

 

塩味がほしかったので卓上の食塩をかけて食べた。

 

 

いつものようにいつもの鳥万二階だ。

 

 

16時からいるAちゃんとベテランのMさんとあとは3階にいる名前の知らない感じのいい女性スタッフと3名だった。

 

 

二階はそれほどでもなく予約席もあってAちゃんは常連と話しをしたりと穏やかな雰囲気だった。

 

 

いつもの席にすわれなかったご常連たちがテーブル席に座った。

 

Mさんがオーダーをとったときに、

 

「いつもいつもやきとりとか同じものばっかで。うちはいろいろあるんだからたまには違うもの食べてよ。

そのうち羽でもはえてくるよ!!」

 

といつものMさん節。

 

そしてそれをきいたみんなの笑い声。

 

お中元でもらったからとMさんとAちゃんにプレゼント。

 

ちゃんとした袋に入っていた。

 

そんな風に鳥万二階はスタッフとご常連たちとのまじわりがあって温かさが自分のようなものにも伝わってくる。

 

 

前回は名物の若鶏唐揚げだったので今回はやきとり。

 

ここはつくねや鴨つくねが美味しい。

 

 

やきとりは一本100円均一だ。

 

 

 

 

ビールのあとはホッピー。

 

そして写真は撮ってないけどここのなかおかわりが過激なのだ。

 

かなり酔う。

 

 

ずっと昔に塩やきそばを食べたという記憶はあったのだけれども前回のソース焼きそばが大ヒットだったので

注文した。

 

細麺で個性があるのだけれどもやはりソース焼きそばほどのインパクトはない。

 

それと気のせいかソース焼きそばより麺はやわらかい。

 

自分は鳥万で料理の勉強をしている。

 

それはかつての船橋「あまから屋」や船橋「竹乃家」と同じだ。

 

自分が素晴らしいと思う店の料理を食べて勉強するのである。

 

なので僕の料理はあまから屋、竹乃家で出された料理が50パーセントとなるだろう。

 

そして今は鳥万で勉強しているのでどんどん鳥万風のものが加わってきているのである。

 

鳥万は半世紀続いているわけだけれども、普通の味で普通の料理を出していて、それがたとえ安くて酒も安いとしても

続きはしなかっただろう。

 

やっぱり安いのにものすごくうまいものを出すから続いているのだと思うのだ。

 

安かろう悪かろうではないということだ。

 

安くてまずいものなんて自分はいくらでも作れる(笑)

 

蒲田はその昔・・・工場が多くて・・・そこで働く職人さんたちに満足してもらえるようなものを鳥万は出していたと言う。

 

きっとその伝統は続いているのだろう。

 

サラリーマンの味方という居酒屋はある。

 

でももっと掘り下げてここは額に汗して働く労働者にとっての楽園???

 

 

ちょっと大げさかね(笑)

 

 

僕はパソコンを前にデスクワークの人なのだけれども、ここに惚れ込んでいて、今月も31日にまた行く予定だ。

 

大学時代の友人がたまたま蒲田で研修があるということで鳥万で合流しようということになったのだ。

 

鳥万は予約もできるのだけれども僕はやめようと思っている。

 

二人で行ってみればいいことだ。

もしも席がなければ他の店でもいいじゃないかって思う。

 

鳥万で飲むことが目的ではなく級友と飲み語り合うということがメインなのだからね。

 

蒲田は無数の飲み屋があるし、こまることはないだろう。