青年劇場の「マクベスのマクベスの妻と呼ばれた女」

青年劇場「マクベスの妻と呼ばれた女」 (seinengekijo.co.jp)

はシェークスピアの「マクベス」の筋書きを知らないとおそらくなにがなんだかわからないといった脚本だ。

 

舞台写真と動画記録撮影と2回芝居を見て、女性の生き方、男性と女性との違い、マクベスという戯曲とディゾルブするような感じで日本の女性についていろいろ考えさせられる脚本だったと感じた。

 

あとはキリスト教の教えである「人を許すということ」についてのイロニカルな部分もあるのだけれども、カトリックの信仰を

もっている僕としてはそれは違うのではないかと痛切に感じた。

 

罪を憎み人を憎まずというキリスト教の教えが偽善的であるというニュアンスがあったのだけれども、そんなことはまったくない。

 

 

僕はカトリックの洗礼を受けるために1年間関口教会の入門講座に出てキリスト教のABCを学んだ。

 

シスター中島が講師だった。

 

人を許すということについてシスターが話すと僕の友人の長澤さんが質問をした。

 

「もしも自分の両親を無頼漢に殺害されたとして、その無頼漢を許すことができますか」

 

キリスト教ではそういった人も心から許すという教えだ。

 

シスターは長澤さんの問いに答えた。

 

「許すことはできないでしょうね。でもその人を許す心を私に与えてくださいと祈ることはできます」

 

 

絶対に許せない。

 

だって、自分の両親だし。

 

 

 

でも神様はそういったぶっ殺されても当然という罪人も罪をおかしていない人とまったく同じに愛していて

大切にされている。

 

だからその人を許さなければならないという教えなのだ。

 

 

でなければ人は救われない。

 

そこのところを誤解してもらいたくないと僕は思った。

 

寛容な心でなんでもかんでも許すということではなく人として許せないということでも許しなさいと神が僕たちに言っていると

いうことをそのままつまり聖書に書いてあるままキリスト者は言っているのであって、個々の人間が完全になんでもかんでも許せるなんてことは言ってはいない。

 

だからシスターが長澤氏の質問に即座に答えたように「許せないでしょうね」ということなのだ。

 

でも神から許せと言われているから、「私にその人を許す心を与えてください」と祈るということがキリスト教の教えなのだ。

 

 

収録が終わってガスト。

 

 

 

唐揚げとハンバーグ弁当。ご飯大盛は無料なので大盛で。

 

 

 

撤収の時に制作のHさんが手伝ってくれた。

 

ここで大丈夫です、駐車場から車をもってきてあとはもう僕だけでと言い駐車場へと。

 

戻ってくると缶ビールが機材のところに置いてあった。

 

 

 

Hさんからもらったビールをまずは。

 

そしてガストの弁当を。

 

働いたあとのビール・・・最高にうまかった。

 

 

 

 

ガストの唐揚げハンバーグ弁当はリーズナブルにして美味しい。

 

ご飯の大盛りも無料だし、Dポイントとか、いろいろカードが使えて、PAYPAYでの清算もでき、ガストの割引も

あるからどんどん値段が下がっていく。

 

 

ここまで書くと日付が変わってしまった。

 

内容希薄でダメダメな記述でした・・・すみません・・・

 

でも読んでいただいた方は、まじ、ありがとうございます。

 

マクベスのこちらの芝居は残念ながら全席売り切れということで観劇できないのです。

 

 

コロナが終わって、だんだんとお客さんも戻ってきているってことですかね。

 

今日はいろいろな人から声をかけてもらって、みなさん、コロナ前の僕をイメージして、

多忙を極めているでしょうと言うのだけれども、コロナがあったからそんなことはないわけ。

 

 

「普通ですよ」

 

なんてちょっとふざけてみたり。

 

 

あとは青年劇場に僕を紹介してくれた女優さんからもあいかわらず忙しいんでしょうと言われました。

 

 

「暇ですよ。コロナがあったわけだし」

 

 

そう言いました。

 

たしかにコロナ前のだいたい半分くらいの仕事量だし、当然ながら収入も半分ですからね。