すべて買い出しを終えて京成大久保へと向かった。
布製の大きめの手提げ袋に買ったものを入れ背中にはいつものカメラバックを背負っていた。
桂香のマスターは2月末が誕生日。
いつも店を貸し切りにして常連たちでお祝い会をする。
以前は誘われたのだけれども中心となっているメンバーは僕たちおじさん組より10歳ほど若いので
僕たちは毎回出席しなかった。
そのうちお声もかからなくなったのだ。
僕は地元川越の銘菓をもってお祝い会の前に行きマスターにプレゼントという予定であった。
店に入るとちょっと雰囲気が違った。
いやいや、いやいや・・・・・この日が貸し切りお祝い会だったのだ!!
なんだか気まずい感じとなってしまった。
マスターはみんなと一緒に飲んでいけばいいじゃないと言ってくれた。
でもねえ、僕だけ10歳も年上だし・・・・
そこでみんなが集まる19時くらいまで飲んでみなさんに挨拶して退出することにした。
時刻は18:11
マスターはお祝い会の料理作りでたいへんなのでつまみはあるものでOKと告げた。
お祝い会のオードブルを作っていてそちらが出来上がりだしてくれた。
だんだん気持ちよくなっていった。
するとみんなの仲間であるM君が来店!!!
ちょっと早いじゃないか。
するとM君は少し驚いたようにしていた。
てっきりM君には誕生日パーティーの知らせが行っているはずと思っていたのだけれども知らなかったようで、
普通に飲みに来たのだった。
マスターの誕生日のことも忘れていた感じだ。
自分はアルコールも入って気持ちも大きくなっていたのでM君といろいろ昔の話しなどして飲んだ。
M君もみんなが来る前にお酒を飲み始めていた。
ほんとなつかしい話しだった。
すると幹事のAちゃんがやってきた。
幹事なのではやめに来たのだろう。
ちょうどM君と昔の話しをしていて楽器を演奏する芸人さんがたびたび桂香に来ていてMDをもらったという話しの最中だった。
するとAちゃんも思い出してその芸人さんのことをいろいろ話していた。
そしてだんだんとメンバーが集まりそろそろ開始ということになった。
僕はマスターを呼んでみんなの写真を撮った。
まあ、カメラマンだし・・・・・
もちろんSNSにアップすることはせずプリントしてお店に次回もっていくことにした。
紹興酒のボトルも空いたので新しいのを入れた。
そして会計するとマスターはお金をとろうとしなかった。
ちょっとちょっとそれだけは勘弁してということで二人でお金を渡したりつきかえされたりとなかなか終わらない。
結局、新しいボトルのお金だけマスターはうけとってくれた。
みんなは僕とマスターのやりとりを見て笑っていた。
マスターとしては遠く埼玉から来てほんとうだったらゆっくり飲んで帰るところ悪かったということなのだろうけど、
全然そんなことはなかったのだ。
「船橋ラーメン逍遥記」というブログを書いていた頃につけ麺マンというバンドル名の方から京成大久保に中華マミーという
とてもいい店があるとコメントいただき大久保まで行ったのが19年ほど前のことだった。
ところが中華マミーは見つからずあきらめたのだった。
マミーを探して歩いていたときにプラザグレミオの前を通った。
奥のほうになにやらこじんまりとした中華料理屋があったのでどんな店なのかはわからなかったのだけれども入ってみた。
普通ならそれ一回で終わるはずだった。
でもどうしてなのか、僕はまたその店に行ったのである。
なにがよかったのか、もう忘れてしまったけど、そのうちここが自分のもうひとつの家のように思え、
通うようになったのである。
マスターもお元気で誕生日を迎えた。
これからもお元気で。