オン書きしてます。
一昨日、法典の湯で友人とサウナで話した中、あまから屋の話題も欠かせなかった。
あまから屋こそ、メディアで紹介されてしかるべきということを友人・・・以後Kと仮に
呼ぼう・・・が言ったのだが、

「あそこは社長が取材拒否に徹していた・・・それと常連が許さなかっただろう」

とこたえた。

千枚近い写真を私は撮影した。
4年間ほどかかってあまから屋のすべてのメニューを撮影し、
これはお伝えしなかったが動画も撮影している。
かなりきもい世界だけど、私はあまから屋オタクだったのである。

ただあまから屋公認であり、
わたしが撮影をすることはあまから屋が容認しているばかりか、
夜の部の林さんには受けていた。

林さんは私のカメラもちゃんとおぼえてくれており、
落としたりして新しいものになると、
「今日のカメラは違うわねえ」とすぐ近くまで来て話してくれた。

すべてのメニューを撮影したのだから、せめてもそれをプレゼント
したかったのだが、突然に店をしめてしまい、連絡先の掲示すらない
まま60年の長きに幕を降ろしたのである。

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あまから屋はその昔、朝の6時とか7時にもう営業していたという
話しをきく。
なんでまたそんなはやい時間にやっていたのだろうかと思う。

夜の部よりも朝のほうがあまから屋のにぎわいはきわだっていた。

私は・・・朝の部・・・もう少し探究心を燃やすべきだったと思っているのだが、
朝といえば<船橋市場>ということで、あまから屋にはめっぽう足が向かなかった
のである。

それでも

<ご飯>
<生卵>
<海苔>
<味噌汁>
という定番の朝食にありつきたいと思うときには、市場の福田家か
あまから屋にすっとんでいったものである。

福田家では顔をおぼえてもらい・・・・だんだんとサービスも
していただくようになり、なんだかいろいろいただいても
このくらいでいいよっていうことで充実した朝食をいただいている。

あまから屋の朝食はそうはいかない。
なにせ朝っぱらからごったがえしているから、サービスもなにも
あったものではない。

店の活気・・・そしてむんむんとした客の発する熱気というのだろうか・・・
船橋ここにありきと・・・思ったものである。

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昆布、鰹節、にぼしは「みお川」で買い付けている。
他にはうわきはしない。
「みお川」は船橋中心地に残る唯一の乾物屋である。

そんなみお川の女将から「船橋駅前市場」の話しをきくことがあった。
あまから屋の近く・・・現在のガード下のあたりに市場があったのだという。

行商さんたちがそこで買つけ、東京や近場に売りにでていたという。

それで私はピーンときたのである。

おそらくその時代には、駅前市場のすぐそばに行商さんや一般客を
相手にする飲食店があったはずだと。

その筆頭があまから屋だったのではないかと。

朝に買い付け、朝飯は市場の近くでというのは容易に想像できることである。

だから、その当時のあまから屋は朝の6時から営業し、
市場の客たちの需要に応じていたのではないかと推察した。

それゆえ、その名残りで、あまから屋の朝は忙しかった・・・・・

朝のあまから屋の活気を体験できたことはとてもよかった。

・・・・もうひとつは競馬だろう・・・

競馬の予想とか実況中継をラジオでやっていた頃に
あまから屋もテレビではなくラジオを流していた時代があったかもしれない。

それで、朝から酒を呑みつつ競馬新聞片手に予想をするスペースとして
あまから屋を利用していた客がいたのではないか?

なんでもその当時は競馬も当たると大きかったというから。

船橋の居酒屋であまから屋の話題となったことがあった・・・・

すでに閉店した後の話しである。

そのときに、その居酒屋にいた常連さんがこう言った。

「あそこの社長さんって、競馬が好きで市場に仕入れに行くって言って
バイクに乗るとそのまま船橋競馬場まで行っていたっていう話しだよ」


それをきいた常連たちからどっと笑いがおこった。

たしかに・・・社長は競馬好きで、詳しかったわ。