東京アテネウム
7月20日が「船橋市民祭り」の初日であると
いうことは知らなかった。
ましてや「湊町魚市場」の解体の日ということなど
知るよしもなかった。
たまたまこの日は仕事がキャンセルとなったために
休みとして、小見川にでかけようと思ったのだが、
天候不順もあり、船橋でゆっくりしようと予定変更を
したわけである。

父は、今75歳・・76歳かな。
日本橋の呉服問屋の長男として生まれ、
幼少時代に祖母に手をひかれ、船橋へ行ったという
思い出がある。

祖母はよく父を連れて船橋に行ったのだそうだ。

「駅前にたくさんの行商さんがいて、
あさりや魚を並べて売っていた」と父は言う。

駅を少しだけすすんだ広場のようなところで
ワタリガニを売っていて、父はカニをじっと見ていたと
いう思いでがあるそうだ。

祖母はおそらくそのワタリガニを買いに、
日本橋から国電で船橋に行っていたのだろうと言う。

船橋での食べ歩きをするなかで、70代、80代の
方から昔の船橋の話をきく機会があった。

「昔は船橋と市川を結ぶ道がなく、我々軍国少年が
道を作ったのだ」と80代の方から話をきいたことが
あった。

東京街道は、軍用車が千葉から東京につなぐため、
軍事物資を運ぶためにできた道らしい。

「昔は、船橋に野菜や魚を買い付けに行く人たちが
ぞろぞろと船橋に向かって歩いており、
あまりにひとが多く、肩と肩がふれあうほどであった」

インターネットをしない世代からの情報は当然ながら
インターネットには流れない。

このような形で、つまり間接的に流れるのである。

昔のほんとうの船橋を知る人たちの声はネットで
読み取ることはできない。

湊町魚市場の解体に集まった人たちの想いも、
けっしてネット上には流れないのである。

取り壊されていくのを見ながら、僕に話しかけた
方がいた。

「あの屋根のほうの木材を見てください、
60年、70年とたっているのがわかるでしょ」

おそらくその人は少年時代からずっと魚市場を見ながら
育った人なのだろう。

たまたま20日が休みで、たまたま船橋に行き、
たまたま湊町市場に顔を出した僕。
すると、湊町市場の人が、「魚市場が壊されている」と
知らせてくれたから、たまたま小見川に行くからと
普段はもちあるかない一眼レフをもっていて、
そのカメラで撮影した写真である。
東京アテネウム

写真は船橋市民祭り。
大神宮下駅近くで太鼓をたたく人たち。
そして湊町魚市場の解体である。

記憶が定かではないのだが、マザーテレサが
亡くなったときに、ダイアナ妃もなくなったのでは
なかったか。

ダイアナ妃のスキャンダラスな死の影で
マザーテレサの死はまるで報道にあがらなかったと
いう記憶である。

船橋市民祭りのにぎわいのむこうで、
船橋の古きよき時代のモニュメントが瓦礫と化したのだ。