修羅の門

まだ帯刀が当たり前だった時代。その時代にあって無手(素手)で人を殺す技を極めた一族がいた。その技を現代に受け継ぐ17歳の少年・陸奥九十九(ムツ ツクモ)は祖父に言われ格闘技界という表舞台に姿を現す。謎に包まれた千年不敗の古武術・陸奥圓明流が今そのベールを脱ぐ。


作者は川原正敏。作者は過去に『あした青空』という空手少年とヒロインの青春漫画を連載したが、思うように人気が出ずコミックス全2巻で終了した。この時、作品自体はヒットしなかったが主人公が出場した空手選手権での試合シーンは読者に好評だった。作者は後に、青春要素を抑え格闘技色を強めた作品の構想を練る。そして誕生したのが格闘漫画『修羅の門』である。


作品は外伝や異伝等も作られ、2025年には『修羅の刻 安倍晴明編』の発表が予定されている。


    「修羅の門』シリーズ作品リスト

1987年〜1996年

 『修羅の門』全31巻

  陸奥九十九を主人公とする格闘漫画

1989年〜連載中

 『陸奥圓明流外伝 修羅の刻』既刊22巻+13巻裏(19巻のみ副題が『不破圓明流外伝』)

  九十九の祖先たちを描いた外伝

2010年〜2015年

 『修羅の門 第弐門』全18巻

  九十九を主人公とした続編

2010年〜2014年

 『修羅の門異伝 ふでかげ』全8巻

  同じ世界線を舞台にしたサッカー漫画

2020年〜連載中

 『陸奥圓明流異界伝 修羅の紋 ムツさんはチョー強い?!』既刊11巻 以下続刊

  修羅の門 × 異世界転生もの


以上、『修羅の門』『修羅の刻』『第弐門』『ふでかげ』『修羅の紋』の5つがシリーズ作品である。さて、読む順番だが、当然、古いものから順に読むだけなのだが、各作品は互いが密接にリンクしており、『修羅の門』全巻読んでから次に『修羅の刻』全巻読むのではダメで、単行本発売順(厳密には雑誌掲載順)に読んでいく必要があるのだ。『修羅の門』『修羅の刻』『第弐門』の3つに関しては特に順番が大事である。

  『修羅の門』の中で、海堂という強敵が特訓の末、九十九の特殊なパンチを避けるすべを身に付けるが、九十九は別の、更に特殊なパンチを繰り出す事で海堂を倒す。最初のパンチが虎砲、海堂を沈めたのが無空波である事が明かされ、その違いについても作中で説明される。その後『修羅の刻』で陸奥八雲が宮本武蔵に拳を放つ時、読者はそれが無空波である事を知っている。カスっただけの拳は、それでも武蔵を倒すが、その理由についての説明はない。説明はすでに『修羅の門』でされているから。

   また『修羅の刻』のある回で陸奥雷(アズマ)は船でアメリカ大陸に流れつき、そこでネイティブ・アメリカンの少女に出会う。ネイティブ・アメリカンは白人により滅ぼされようとしており、アズマは少女に「死ぬなよ」と言うと駆け出し、鬼神の如き戦いぶりで白人たちを蹴散らす。ぼろぼろに傷付いたアズマは「陸奥を名乗る者がいつか来たならそいつの力になってやってくれ」と言い残し息を引き取る。その後『修羅の門』でアメリカに渡った九十九のもとに「大婆様に言われて百年前の約束を果たしにきた」という若きネイティブ・アメリカンが現れる。かつての少女は「死ぬな」の約束を守って今も生き続け大婆となっていたのだ。

   更に『修羅の門』でヴァーリ・トゥードに参加した九十九は小柄な体格であるにも関わらず巨漢の元力士を圧倒する。驚嘆する徳光に対し九十九は「俺の祖先はあの伝説の力士、雷電とやった事があるそうだ」と言う。のちに『修羅の刻』において陸奥左近は雷電為右衛門と死合う。


以下は『修羅の門』『修羅の刻』『第弐門』の発売された順番。


01. 修羅の門 第1〜8巻

02. 修羅の刻 第1巻
03. 修羅の門 第9〜10巻
04. 修羅の刻 第2巻
05. 修羅の門 第11〜13巻
06. 修羅の刻 第3巻
07. 修羅の門 第14〜17巻
08. 修羅の刻 第4巻
09. 修羅の門 第18〜20巻
10. 修羅の刻 第5〜6巻
11. 修羅の門 第21〜31巻
12. 修羅の刻 第7〜13巻 + 第13巻 裏
13. 修羅の刻 第14〜15巻
14. 修羅の門 第弐門 第1〜18巻
15. 修羅の刻 第16〜22巻(以下続刊)
※1 巻数は単行本版のものでペーパーバックや文庫版には適合しない。
※2 『修羅の刻』第13巻は2種類発売されており正史版と裏版では結末が異なる。


極論すれば、陸奥九十九は忍者のようなものだ。人里離れた山奥で物心ついた頃から“人を殺すための技”を叩き込まれ、ずっと磨いてきたのだ。忍者が技を振るったら、どちらか一方が死ぬのは当たり前の事である。そうなるように攻撃しているのだから。九十九は死闘の末、不破北斗を死に至らしめた。死力を尽くした結果、レオン・グラシエーロも死んだ。読者の多くは、このレオンが死ぬ展開を「やり過ぎ」と感じた。しかし勝負に死力を尽くしていたのはレオンも同じである。自身の勝利に死力を尽くしたからこそ、全てのエネルギーを使い果たし命の火が消えたのだ。お互い殺す事に全力だったのではない。勝つ事に全力だったのだ。普通ならとっくに意識を失ってぶっ倒れてる位のダメージを負っているにも関わらず、勝利の為、わずかに残った最後の力まで振り絞って立ち上がったレオンは、結果として死ぬ事になった。作者は強者(つわもの)たちの気高くも熱い誇りと意地を作品で表現してきたつもりだったが、実際には読者の心に届いていなかったと知ってメンタルに相当キツくこたえてしまう。作者はこの時点で描きたい事も一旦描き切っていた。また、モチベーションが下がった状態で愛する作品の続きを描きたくなかった。よって続きは自然と描きたい欲求が湧き上がってくるに任せ、無期限の休載に入る。「また描きたい」と思う日がいずれ絶対に来るとは作者にも断言出来なかったが、それまでは別の連載漫画を描き、時折『修羅の刻』の新作を発表しながらその時が来るのを待った。そして、そこから14年の後、『第弐門』と改題して連載が再開され、『第弐門』も無事完結した。九十九の物語が完結し、更にエピソード0とも言える『修羅の刻 昭和編』が描かれた事で長い歴史もひとつに繋がった。もし再開されてなかったら、今も存在してなかった物語たちなのである。


外伝『修羅の刻』は、本編の休載期間同様、『修羅の門 第弐門』が終了した現在でも、作者に描きたい題材が出来た時など、たまに新作が発表されている。