厄年とは、他の年に比べ災厄に遭いやすいとされる年をいう。一般論的には、人生最大の不幸は死ぬことだと思うが、死という厄日を迎えた年が厄年じゃなかった人なんていくらでも居る。厄年に効力が有るなら、厄年の人が一番死んだり怪我したり病気してないとおかしい。仮に「夫が厄年だった時に勤めてた会社が倒産しました」と話す人が居たとしても、定年を65歳とした場合その会社には18〜65歳位の人達が勤めており、社員の年齢毎の人数にバラツキがある事を加味しても、厄年でもないのに職を失った人のほうが遥かに多いという事になるだろう。


そもそも厄年は前厄・本厄・後厄と言って本厄を挟む前後3年間に渡って有り、寿命にもよるが、それが人生に数度訪れる。それを信じ、その回避を試みるなら、何度も厄除けに行かなければならない。それは貴方にとって大きな出費になるし、神社や寺にとって大きな稼ぎとなるだろう。勿論、厄年に関する諸々は古くからあったもので、金儲けの為に後年、考案されたような類のものではないのは知っている。しかし、祓ってる側も、真に必要な事という認識でお祓いしてるとは思えない。内心では「厄祓いなんて、してもしなくても変わらないのに」と思ってるのではないだろうか。また厄年に当たる年齢も神社や寺により若干の違いがあり、心配性の人が念のため全ての厄を祓おうとすれば、かなりの回数、やってもらう事になる。また、厄年ではない時でも、不運な出来事が立て続けに起きてたりすると「一度お祓いしてもらったら?」などという流れになる事がある。一体、何回、祓わせるんだ!


私は『厄祓い』が「厄祓いしないと不幸になるぞ」と言ってるように感じ、そこへの反発から厄祓いに行った事がない。行った事はないが、大きな病気も怪我も経験がない。我が身を実験台に厄除け不要を立証してしまっている。


厄年は、統計学的見地から生まれたのではないかという仮説もある。つまり成長や老いなど、加齢に伴い身体的に年齢リスクが高くなる歳というものがあり、「その年は気をつけましょう」と注意を促していく上で気を付けるべき年の事を厄年と呼ぶようになったのではないかという推測だ。では、そういう論理から厄年が誕生していたと仮定して、だが今は昔より体格も大きくなってきており健康寿命や成長速度も変わっているので、身体リスクがピークを迎える年齢も昔とは当然違っているだろう。そもそも、生化学的要因を根拠としているならば、それこそ厄除けなどという非科学的行為に出る幕は無い。厄除けを必要とする局面など無いという事だ。


「伸び盛りの今は重心が上に移動してってるから転倒とか気を付けなきゃ」等と意識する事さえ心掛ければ良いだけの話である。