最近は終活が一般化しており、生きてるうちに自分の墓を買う人が増えている。


日本は小さな島国だが、その狭い土地に1億4千万人が生活している。マイホームを待てない人は多く居るが、ナゼか墓は売れている。生きてる自分が住む家も持てないのに、死んだ後に入る場所だけは皆しっかり準備する。私にしてみたら、死んだ後の事より今のほうが余程大事だが、人々は墓を買い求め、またそういう人は仏壇も買いたがる。ペットの墓地も増えている。


なぜ墓は売れるのか?先祖代々の墓がすでに有るのだから死後に入る墓の心配など本来、不要である。代々の墓は長男が継ぎ他の兄弟は入れないという誤解もあるが、厳密には次男だろうが三男だろうが総て本家の墓に入る事が出来る。そもそも“永代供養”とはそういう事だ。なのに今も人々が墓を買うのは、皆が「家族みんなで同じお墓に入りたい」と考えるからだ。お父さんである貴方は自分の親と同じ墓に入るより、愛する妻・息子・娘・自分の家族4人でひとつの墓に入りたいと考えている。だから先祖の墓があるのに自分たち用の墓を新たに準備するのだ。しかし将来その墓に家族4人が入る事はない。貴方がそういう夢を抱くように、子供たちも将来、同じ事を考えるからだ。よって貴方の子は貴方と同じ墓には入らないし、子が建てた墓にも孫は入らない。なんなら妻も、実家の墓に入る事を望んだりするので、結果、その墓には貴方しか入ってないなんて事になりかねない。


そうやって全世代の全兄弟が自分達用の墓を建てる事で、たった1人しか入ってない墓がボコボコと乱立し、今も墓は増え続け、霊園は土地を必要とし、人が住む為の土地はどんどん無くなっていく。遺された子供は先祖代々の墓と貴方専用の墓と母の実家の墓とペットの墓を世話する事になる。


世界遺産・重要文化財に指定された建造物や遺跡、絶景は今の形のまま保存していく事になるし、単なる観光名所としての自然や歴史的な価値を謳ってる建物も潰せない。経営悪化により惜しまれつつ廃線になった町の鉄道など有ると、長年親しまれた廃駅をそのままの形で残そうと市民運動が起きたりする。仕事の関連施設に、娯楽の場、学校や病院等々の施設も必要である。墓地に広範囲使ってる場合だろうか?


ただ、魂の存在を信じる人たちなら、墓に固執する気持ちも、まだ分かる。


が、魂が存在しない場合、生命が活動を停止したら、後は無の世界である。死んだらそれっきり、意思も感情もなく痛みや苦しみもない。存在が無いのだから地獄や天国にも行きようがなく、よみがえりも生まれ変わりも無い。あとには、ただ無だけがある。無に、死後眠る場所は要らない。ならば墓は“死者が安らかに眠る場所”ではなく、ただの骨置き場である。ついでに言えば、無なので、最終的に家族4人の骨が同じ墓に入ったかどうかも知りようがないし、たとえ入ったとしたら、それがなんなのか?


新しく墓を建てる理由。それは、本当に新たな墓が必要か具体的な想像をせぬまま購入を決めてる人が多い事。本当に墓を必要とする人は実際にはもっと少ないハズだ。


そんな人は散骨を。

遺灰を海とかに撒いて終わり。

地球が自分の墓。

契約金も維持管理費も、世話に掛かる手数料もお参りに掛かる労力も時間も不要。家族は時々空を仰ぎ見て、あなたと過ごした時間を懐かしく思い出す。


そんな未来の方が良くないですか?