幸福量保存の法則とは、人生における幸福と不幸の量は同じだとする考え方。

この法則は、精神的な幸福の感じ方についての理論であり、実社会における地位や名誉、富、名声等の有る無しは関係ない。

小さな幸せは失った時のダメージも小さいが、幸福の絶頂にいる人がそれを失った時は不幸のどん底に落ちる。よって幸と不幸は比例関係にあり表裏一体であるから、プラスが大きい時はマイナスも大きく、逆もまた然りで、結果的にプラマイゼロになるという考え方。

それぞれの人生ごとに幸福な出来事の量は違うが、その人の人生の幸福が30なら不幸も30。幸福100なら不幸も100になると言ってるのである。

確かに、大病を経験した人ほど普通である事に幸福を感じるのだとは思う。なんの変哲もない日常でも人により、幸福だったり、普通だったり、退屈だったり、苦痛だったり、感じ方は様々だろう。

しかし、人の心はそう単純ではない。

桁外れの財を所有する幸福な人が死ぬ時は、それら全てを失う超不幸に見舞われるという暴論。金持ちのまま最期の時を迎えたなら、自身の人生を上出来と思うほうが普通じゃないですか?

不幸続きの人生だった人は、生への未練や執着が少なく死がもたらすダメージも軽いという暴論。いい事がひとつもなく惨めなまま最期の時がやってきたら「酷すぎる。ワイの人生なんやったんや」と超絶悲しみながら果てる可能性だってあるんじゃないですか?

この理論が本当に正しければ、臨終に際し誰もが「プラマイゼロの人生だったなぁ」と感じるハズで、人類の長い歴史の中で幸せな人生不幸な人生を生きた人は、ただの一人も居ないハズなのだ。それは、どんなに社会的に成功しようが幸せになんて成れないし、何の努力もしなくても不幸になんか成らないという事を意味する。人生におけるスキルアップや開運法、信仰など、幸せな人生を掴もうとする行為の一切が無駄であると言っているのと同じなのだ。貴方の祖母が臨終の時、「いい人生だったわ」と言ったなら、その最期の言葉すらもですか?

望まない妊娠をした女子高生が自宅トイレで胎児を出産後、窒息死させ殺人で捕まる事件があったが、この時、産み落とされて直ぐに殺された赤ちゃんの幸福と不幸の量が同じだったハズがない。

育児放棄で食べるものが無く空腹のまま餓死した幼児を司法解剖したら胃の中から紙おむつが出てきたけど、まぁその同じ分だけ幸福な事もあったハズだよなって思えます?

『幸福量保存の法則』は、誰かが言い出した主張のひとつに過ぎません。実際その個人意見には明確な根拠が無く、端的に言うと正しくありません。しかし『幸福量保存の法則』は人を騙す為に創作されたものではありません。つまり単に誤りであるだけで嘘とは違うのです。

この世は、が蔓延しているのに間違いもかなり有るとすると、正しい情報の割合はどれくらいなのでしょう?

“誰かが言ってた”話なんて、頭から信じてかかるべきではありません。
なんでも鵜呑みにしない事が、詐欺被害を減らす事になるのです。

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