宇宙そのものであるモナド

池田晶子『考える人 口伝オラクル西洋哲学史』Ⅲ「処世術」12「ヴィトゲンシュタイン 考えるな、見よ」(10) 〈神秘的なのは世界が《いかに》あるかではなく、世界がある《ということ》なのである〉!「生」に対する態度とはすなわち「倫理」である! 

※ 池田晶子(1960-2007)『考える人 口伝オラクル西洋哲学史』 1998年(1994年初刊、34歳)中公文庫

(18)-11  科学哲学、ラッセルやポパー等は「科学のための言語」と言い切れて、スッキリ迷いを覚えない!科学者たち、さらに科学哲学・分析哲学者たちは、世界に驚いているのであって、世界「が在る」ということに驚いているのではない!

ヴィトゲンシュタインによって「言語論的転回」を経た現代の科学哲学、ラッセルやポパー等、彼らは、「科学のための言語」と言い切れて、スッキリ迷いを覚えないような人たちだ。彼らは、「言語的当惑のうちに生涯を終えたヴィトゲンシュタイン」のような人に比べると、はるかに面白くないので、割愛した。(池田晶子氏)(248頁)

ヴィトゲンシュタインは言う。〈神秘的なのは世界が《いかに》あるかではなく、世界がある《ということ》なのである。〉(《論理哲学論考》6・44)(249頁)

☆科学者たち、さらに科学哲学・分析哲学者たちは、世界に驚いているのであって、世界「が在る」ということに驚いているのではない。(249頁)

☆「が在る」の答えがないことに驚いたヴィトゲンシュタインは、かくて問うのをやめにして、問いを丸ごと生きてしまった。それであの変人は「オーストリアの謎」と呼ばれる。(249頁)

 

(18)-11-2  哲学の「問題」は解消されても、彼らの「生」は「依然としてそこに残る」!「生」に対する態度とはすなわち「倫理」である!「倫理的な態度」は、世界「が在る」ということに驚く、その「驚き」の深さと相関している!

★科学哲学や分析哲学系の研究会に出席するたび感じるのは、この国の哲学が「専門用語」や「妙な人生論」から脱皮しつつある「健全さ」と同時に、この人たちは「心底驚いていない!」という歯痒さである。(池田晶子氏)(249頁)

☆「哲学の仕事は《問題を解く》ことではなく《問題を解消する》ことだ」というヴィトゲンシュタインのあの潔いテーゼによって、この国の学問の姿も随分風通しのよいものになっているとは思う。(池田晶子氏)(249頁)

☆しかし哲学の「問題」は彼らによって解消されても、彼らの「生」は「依然としてそこに残る」。残った「生」をどう扱うか。「生」に対する態度とはすなわち「倫理」である。249頁)

 

★「倫理的な態度」は、世界「が在る」ということに驚く、その「驚き」の深さと相関している。(250頁)

☆そして「学問」の場以外での「自分の生に対する態度」こそゆるがせにできないものとなる。250頁)

☆「哲学する」ことが「生き方」を規定しないような哲学の仕方は、少なくとも私(池田晶子氏)にはちっとも面白いと思われない。250頁)

☆で、「哲学」と「倫理」とが、辛くなかろうはずのないような仕方で別々ではあり得なかったあのオーストリアの変人(ヴィトゲンシュタイン)は、晩年をアイルランドの裏さびれた漁村の小屋で、ひっそりと暮らしていたのだそうだ。250頁)

 

★ヴィトゲンシュタインは、哲学史の王道に突如として生えたキノコである。キノコはキノコだから隆とした枝葉を茂らせることはなかったのだが、それがばら播いた不思議な胞子は、世界の各所に確実に着地している。(250頁)

 

 

《参考》 ヴィトゲンシュタインの思想は、前期『論理哲学論考』、および後期『哲学探究』によって代表される。両者は単なる発展でなく、根本的な思想転換を示す!(参照ChatGPT

★Ⅰ.前期『論理哲学論考』: 世界と言語の論理的対応。

☆A  基本命題:「世界は事実の総体である」。

☆A-2 ヴィトゲンシュタインは冒頭で次のように述べる。「世界は、《事物》の総体ではなく、《事実》の総体である」。すなわち世界は「物の集まり」ではなく、「事実(Sachverhalt)の構造」でできている。例えば、「机」という「対象」だけでは世界の要素にならない。「机が部屋にある」という「事実」が世界の要素。

☆B 言語は世界の「像(Bild)」である(写像理論)。すなわち「命題」は「現実の論理的像」である。「世界」・「事実」・「対象」・「事実の構造」は、「言語」・「命題」・「名前」・「命題の論理構造」に対応する。

☆B-2  例えば「現実」:「猫が椅子の上にいる」に対し、「命題」:「猫は椅子の上にいる」。→ 「命題」は「現実」と同じ論理構造を持つ。これを「写像理論」(picture theory)と呼ぶ。

☆C 「語りうること」/「語りえないこと」:『論理哲学論考』の最も有名な結論は「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」。

☆C-2  「語れるもの」:科学的事実、論理的関係。

☆C-3  「語れないもの」:倫理、美、宗教、形而上学、主体。これらは「示される(zeigen)」が、「語れ(sagen)」ない。

☆D 「哲学」の役割(前期)は新しい知識を与えることではない。言語の論理構造を明確にすることだ。「哲学」 = 「言語の論理分析」!

 

★Ⅱ.後期『哲学探究』:言語の意味は「使用」である。(後期ヴィトゲンシュタインは、前期の理論を根本から批判する。)

☆E  中心命題:「(言語の)意味とは使用である」。

☆E-2 「語の意味とは、その言語における使用である」。「意味」は「対象との対応」ではなく、「使用の仕方」によって決まる。例:「ゲーム」。「共通本質」は存在しない。ボードゲーム、スポーツ、カードゲームについて「共通する本質」はないが「家族的類似」で結ばれている。

☆F「言語ゲーム」理論:ヴィトゲンシュタインの最も重要な概念は「言語ゲーム(Sprachspiel)」だ。「言語」は「行為」の一部、「生活」の一部。例えば「命令」・「質問」・「約束」・「感謝」・「冗談」。言語の「意味」はそれぞれ異なるゲーム(Ex. 「命令」・「質問」・「約束」・「感謝」・「冗談」)の中で決まる。

☆G 「生活形式」(Lebensform):言語の基盤は「生活形式(form of life)」だ。言語の「意味」は「論理構造」ではなく「人間の生活実践」に依存する。

☆H「私的言語」批判:ヴィトゲンシュタインは「完全に私的な言語」は不可能だと言う。その理由は「意味」には「公的基準」・「使用の規則」が必要だからだ。