173話:別れの挨拶 | 熱があるうちに

熱があるうちに

韓ドラ・シンイ-信義-の創作妄想小説(オリジナルキャラクターがヒロイン)を取り扱っています
必ず注意書きをお読みください
*ヨンとウンスのお話ではありません

 

ウンスの居場所を特定するまで待機となった私は、坤成殿を訪れることにした。
王妃と王様が揃っていることを承知で、話があると申し出れば許可が出る。
チェ・ヨンと共にウンスの救出に向かうことを伝えると、彼から既に耳に入っていると返された。

「無事を祈る」
「チェ隊長が側にいますから、大丈夫かと」
「そうだな」

王と王妃は見つめ合いながら柔らかく微笑んだ。
紆余曲折ありながらも、互いに想い合う関係になったお二人。

いつまでもこの可愛いカップルを見守っていたかったわ。
親戚のおばちゃんのような温かな目で二人を見詰めていたが、気を引き締めて次の話題を振る。

「徳成府院君は、天門を目指しております」
「うむ。隊長も申しておった。医仙より、数日後には天門が開くとも聞き及んでいる」

徳成府院君はこの世とは違う天界に行けば、自分の心が満たされると思っている。

天門に拒まれることも知らず、たとえ現代に足を踏み入れたとしても、彼の望みは叶えられないというのに。

「ウンスさんの救出に向かいますが、おそらく私と彼女は天門に入ることになります」
「残るのではなかったのか?」

こちらに残ると思っていた王様は不満を隠そうともせず強い口調になるので、彼の手に優しく触れて落ち着かせる王妃。

お怒りはご尤もで、私達は残ると宣言していただけに裏切り行為よね。

「望むと望まざるとにかかわらず…」

少しだけ両親の顔を見に行くという軽い気持ちで天門に向かうも、不可抗力で天門を抜け再び入ると百年前へと飛ぶことになる。

彼女だけはドラマ通りになるはずだ。でなければ、百年前のウンスからの手紙や手術道具の説明がつかない。

「……そうか」

私の【見た】能力を察して肩を落とす王様。
そんな彼に王妃が言う。

「医仙や天仙から多くの恩恵をいただきました。もう十分かと。天へ、お返しいたしましょう」
「ああ、そうだな」

二人は手を握り合う。王と王妃、互いに支え合い国を安寧に導くために。

「あ、でも、ウンスさんは戻りますので」

しめやかな雰囲気を壊す私の発言に、目を丸くする二人。

「戻って、来れるのか?」

天界とこの地を繋げる門が、そう簡単にホイホイ開くわけがない。医仙の話によると、今回のを逃すと約六十年後となると聞いていたであろう王は訝しげな視線を向ける。

「来れるではなく、来るのです」

ここには彼女の運命の相手がいるから。

「刻の流れが違うので、何年後になるかは不明ですが」

おそらくドラマと同じ五年後になると思うが、確信が持てないからそこは曖昧にしておく。
半信半疑の王の横をすり抜け、王妃が私の手を取る。

「貴女は戻ってきますか? 隊長は?」

敏い彼女は私の言葉に違和感を覚えたのだろう。ウンスさんは戻ります、だったから。

「隊長は、必ず王様のもとに戻ります」
「しかし、そなたが天門を渡るのならば、共に行くのではないか?」
「チェ・ヨンはこの国の護軍です」

彼は王の従者。忠誠心は揺るぎない。
納得したのか何度も頷く王様。

多分、似た質問を彼にして似た返答をもらっているはず。本編と同じように。

しかし王妃は再び問うてくる。

「貴女は?」

一緒に生きたいと彼に伝えたが、現代に戻ってしまったらどうなるか分からない。
実家の森の祠は天門と同類かも怪しい。再び入ってもどこへ飛ばされるか。

「自分の先がどうなるかは見えないので、この場所に戻ってこれるか、分かりません」

本編ドラマとは違うこの世界に戻ってこれるかの保証はない。
再び門をくぐったら完全本編最終話からですなんて事になったら、色々な意味で死ぬ。

ドラマとは違う世界がここに存在している。

王妃が助からず王が病み、チェ・ヨンが策略により命を落とすのを見てきた別のウンスのいた世界も在るし、皆がこの世を去ると暗号を残した【私】が存在する世界も。

世界は無数に存在するのだ。
再び同じ世界に足を踏み入れたとしても、発達した文明に慣れた私がここで生きていけるだろうか。彼の邪魔や荷物にならないだろうか。

不安は尽きない。

そんな私の様子を払拭するかのように、王は王妃と見つめ合い頷き、そして王妃の握る私の手に触れた。

「我らはずっと待っておるぞ」

その言葉だけで、沈んでいた心が浮上する。
医術も武術も持ち得ない何の取り柄もない私の居場所を作ってくれ、これからも続くこの世界で待ってくれるという。
泣きそうになり、涙が溢れないよう感謝を述べて頭を下げる。
どうかこの世界の二人は、末永く幸せに暮らしてほしいと願いながら。


**


坤成殿を出て、持ち運べる薬品をいただこうと典医寺に向かう。体調不良の老人を診ているチャン侍医を横目に、薬房へと侵入しいくつかの薬草や薬品を布で包んだ。

踵を返そうと振り返ると、薬房の入口でチャン侍医が待ち構えている。


「勝手に持ち出されると困ります」

まあ、見つかるのは想定内だ。

「えへ」

笑って誤魔化すと眉を下げられ、薬草の入った荷物を開けられ確認された。
適当にぶち込んだ薬を、ひとつひとつ取り出しては説明される。

「これは歯痛。こちらは腹下しの薬草です。いりますか?」
「いらないかも」

それらを戻され、棚から新たに薬を取り出し入れてくれた。

「裂傷に効く薬と打ち身の軟膏を入れておきます」
「ありがとうございます」

チェ・ヨンと共に行くとなれば戦闘は避けて通れないだろうと予想し、怪我を負うであろう彼の為に薬が欲しかったのだ。
再びきつく結ばれた包みを渡され受け取ると、そこに小さな袋が添えられた。

「こちらもどうぞ」

開けてみると、まだ半乾きであったが制作しておいた私の血入り丸薬が入っている。
袋に入っているのは三つ。一つ取り出してチャン侍医へ渡す。

「どうぞ」
「使用する機会が今後くると?」
「分かりません。念の為です」

袋を懐に入れ、彼に頭を下げた。

「いままでたくさん助けていただき、本当にありがとうございました」
「こちらこそ、多くの事を学ばせていただきました」

多く語らずとも彼は色々と察してくれ、別れの言葉とも取れるセリフにも追及せず、優しい言葉をかけてくれる。

「【はぐ】を、してもよろしいでしょうか?」

別れの挨拶のつもりだろうと思い、私から彼に近づき背中に両手を回すと、彼もそっと私を腕の中に収めた。
怪我ばかり負って手の掛かる異国民にも、寛容で優しくて時々厳しく接してくれ、常に味方でいてくれた彼。

「どこにいても、貴女が幸せであることを願います」

彼の温かな体温と言葉に、目頭が熱くなった。

「長生きしてくださいね」

この世界の彼は命を落とすことなく、いまも典医寺の主である。
これからも高麗は、あなたのような優秀な医者がまだまだ必要だから、生き続けてください。
落ち着く彼の香りを目一杯、肺に送り込む。

「ところで、この匂いはお香ですか?」
「匂いですか?」

自分の袖を鼻に近づけ匂いを嗅いで、首を捻られた。
己の匂いなんて、鼻が慣れてしまい自分では分からないものね。

「薬物の匂いでしょうか? 毎日取り扱っておりますゆえ、染み付いてしまったかもしれません」

薬湯にするとくっさくてクソ苦いのに、彼からはイイ香りが漂っている。何か秘薬でも焚いているのか?

 

「スゥーーーーーーーーー…!」


胸に強く顔を埋め、猫吸いならぬチャン侍医吸いをした。

薬草の匂いは微かにするが、もしかして彼の匂いと混ざって化学反応でも起きているのか?

 

「ちょっと失礼」

 

かなり失礼な事をしている自覚はあるが、真実を追求しようと背伸びをして彼の首元に鼻を寄せてみた。

 

「な、なにを…」

困惑気味の声色が耳元でするが、拒絶されないことをいいことにそのまま抱き着いた状態を保つ。

首元は汗をかきやすいから、その人の匂いが一番する場所だ。

彼からは、この時代の人間とは思えないイイ香りがした。

 

「なるほど、これがチャン侍医の匂い」

「汗臭いですから」

「全然、イイ匂いですよ。寧ろ、落ち着く匂い」

「……ソラ殿、…もう、」


香りを追求することに夢中で、彼がどんな表情で耐えていたなど知る由もない私は「充電完了!」と元気に離れた。

「英気を養えました、ありがとうございます!」
「……お役に立てて何よりです」

少々疲労感を漂わせているチャン侍医に、強引すぎたかと謝罪する。

彼の寛容な性格に甘えて近づき過ぎた。

 

「すみません」

「生気を吸われるかと思いました」

「えっ?」

「冗談です」

 

チャン侍医が冗談を言ったぞ!?

驚いた私の表情を見て、微笑むチャン侍医。からかわれたのかな。


「この匂いをお渡しする手立てがないので、もしソラ殿がおつらい時は、私を思い出してください」

匂いは記憶と直結しているという。

視覚の情報と無意識に嗅いだ匂いが同時に記憶として脳に残り、再び嗅いだ同じ香りだけで、その時の情景が鮮明に蘇るといわれている。

落ち着いた匂いと感じるのは、彼への信頼と心の拠り所を現しているのかもしれない。

現代で、こんなに素晴らしい人には出会えないだろう。
本当にこの世界から離れるのはつらい。
でもどう足掻いても運命は決まっている。

「…ソラ殿」

 

いつの間にか泣いていた私の肩にそっと触れた彼は、私が落ち着くまで泣き顔を彼の胸で隠してくれたのだった。