ということで、ざっくり書きます。

担任固定→解放については、私は肯定的に評価しています。学校空間でかねてより問題視されてきた人間関係の閉鎖性にメスを入れると思うためです(苫野一徳『教育の力』講談社現代新書, 2014など)。記事で指摘されているように教員間の連携を容易にする一方、生徒側としても色々な先生に触れることができます。惜しむらく、「担任・担当の先生を差し置いて他の先生に相談には行きづらい」という生徒さんの声は 実際そこそこ耳にします。流動的に色々な先生と関わることが可能になれば、たとえば担任と合わないために不登校になる といったケースは減らせるでしょう。ただ、教師の負担がどう増減/変質するかは、重要ながらもなかなか把握が難しいようにも思います。これから要検討の課題ですかね。

定期テスト廃止→小テストたくさん、については、事実として成績向上効果が認められているようです。ただし、これについては2つ看過できない点があると思っています。1つは、麹町中ではこの他にも様々な 所謂"普通"の学校では珍しい取り組みをしている(タブレットでの寺子屋スタイルなど)ので、果たしてこの結果が「定期テスト廃止」によるものなのかの検討は難しい点です。とはいえ、ざっと見した先行研究や、これまで私が読んできた書籍などの寡聞な情報に基づけば、試験の存在が学習動機に正の影響を与えるとする説が多いようです(ただ、教育学の中で 私の専門はこのあたりではないので 要検討ではあると思います)。もう1つは、Averageとしての成績が上がっても、一方で固より学習意欲や能力のない子は、より面倒くささを感じたりついていけなくなったりしてしまう点です(事実、現場にいる方からそのような声を聞きました)。これは、そもそも何を目指して教育を行うのかという議論に絡んでくるでしょう。

こうした効果については、確かにこれから検証が求められるでしょうが、一方で 具体的効果とは別に意義を見出すことができ、かつそれは重要なものであるとも思います。それは、学校ごとの多様性への寄与です。これまで"普通"とは思われてこなかった取り組みが、現行法下でもこれだけ実施可能なのだと示すことが、学校ごとの独自性の創出の先駆けになると思います(し、麹町や 長野の風越学園 -2020年開校予定- は、それを企図しています)。近代以降、画一・均質の労働力が求められた時代にあっては、一様序列の価値に基づいた教育が求められていたし、重要でもありました。しかし、今日の社会はそうでないと言われます(規律訓練→環境管理、権威中心→個人主義、の議論)。(もちろん、とくに中学校入学時点の子どもが自分の意思で学校選択ができるかといえば 実際にはそうではない場合がほとんどでしょうが、)各人が受けたい教育を受けられるというのは、さほど悪い話でもないように思います。
しかしながら、選択肢を担保すればそれでAll OKというわけでもなく、全国学テの成績公表と結びついた結果としての学校選択制の破綻という歴史に学んだり、生徒数予測が難しくなるといった運用上の問題に目を向けたりする必要もあるでしょう。

まとめますと、①教師-生徒間の人間関係の閉鎖性を打破することで、学校内の多様性を、そして、②学習指導要領の遵守などの形で最低限度のラインはクリアしつつ、それぞれ独自の特色を打ち出していくことで、学校間の多様性を、高めることに寄与しているのではないかと、朧げながらに考えるところです。だいぶ浅い分析ですが、あくまで走り書きとして、このへんで。