やっと伯父の甲状腺エコーの検査結果を聞いてきました。
発熱外来や予防接種をしている個人医院なので、なかなか予約が取れませんでしたが、「結果を聞き来るときは、予約は必要ありません」と言われたのを、受付の時に思い出しました。
もっと早く聞きに来れたじゃん?
健康診断や検査の時間帯には待合室が満員でしたが、一般診療の時間帯の午後5時半。
待合室に座っている人は、ひとりも居ませんでした。
受付で診察券を出して、家族が結果を聞きに来たことを伝えて、10分ほどで呼ばれました。
結局、甲状腺を見てもらっていた病院からの紹介状のコピーは、老人ホームからもらえなかった。
一昨年の入居前に紹介元病院からもらった検査結果では、6㎜程度の結節が2個あったはずだが…
こういうこと…いつもは覚えているんだけど、入居前のドタバタで記憶が曖昧です。
結果としては、結節の大きさは変わらず、はっきりした悪性の所見はないけど、結節より大きい嚢胞が1つできていた。
そして、経年によりその結節も悪性に転化するので、半年に1回の経過観察をすすめられた。
結果をプリントした紙をもらい、800円(1割負担)を支払った。
真っ暗になった凍える道を、明るい月を見ながらボーっと歩いて帰った。
検査のために病院へ伯父を連れてくるのは問題ない。
でも、もし…
「悪性の可能性があります。生体検査をします。」
↓
「悪性です。」
↓
「手術をしますか?」
となったら…
わたしの判断で、いいのだろうか。
動けるだろうか…。
そして、わたしは看取れるのか…。
ERに勤めていた時、救命救急ではないので、あまり重症の患者さんは来なかったのもあって油断していたが、出勤時に救命救急で亡くなった方とご家族とばったり会うことが何度かあり、それに耐えられなくて辞めた経緯がある。
人を助けたい。と思った時、わたしは自分でもびっくりするくらい動けるし、人見知りなのも忘れて、遠慮のない要求や交渉もできる。
でも、助けることができないと分かった時、全く何もできなくなる。
以前、記事でわたしがヤングケアラーだったことを書いた。
わたしが高校受験の冬。
結局、わたしが勉強で祖母の世話ができない状況になり、祖母は特養に入居した。
介護度5だから、すぐに入所できた。
しかし、しばらくして体調を崩して入院になったが、丁度、実家を新築していて忙しかったのだろうけど、母もあまり面会に行っていなかったと思う。
その入院していた病院で、
ある朝、祖母は誰にも看取られず亡くなった。
わたしが冬期講習に向かう電車で、窓の外を見ていたら、ふと祖母の事が頭に浮かんだのだけど… 丁度、その時刻だったらしい。
だから、伯父と伯母を絶対にひとりぼっちで、亡くなるようなことにはしたくない。
でも、そのことを考えると、わたしの心は「怖い」というより、
「無」になってしまう。
やる気が起きないのではなく、考えられないし、動けない。
検査結果を報告すると、母から無神経な一言が…
「ふたりとも遠くでいいから、どっか入れる特養に入れてしまえば?もう面倒見ること無いよ!骨はわたしが引き取って墓に入れるから。」
いやいやいや!ちょっと待て!
そもそもだれが首突っ込んだからこうなった?
死んだら、自動的に骨に変わるわけじゃないんだよ?
どこの特養に入居させても、何かあれば、妹のあなたが来れないのだから、身元引受人のわたしがそこに行かなくちゃいけない。
それに、その墓ーっ!!
勝手に新しく建てやがって、誰が世話すんのよ!?
何を無責任なことを!!!
と、久々にブチ切れてみました。
わたしは、前世でどんな悪いことをしたのでしょうか…。
いい加減にして。