magnolia.
春の新緑あまって生命力までも漲っている感じに、思えば毎年私の体は二分の一小節くらい遅れて始まる、最初の春は決まって少し憂鬱。
それでも白木蓮が今にも咲き出しそうなのには心躍る程嬉しく、全てのエネルギーを使って咲いて、そのエネルギーあまってぼたぼた散っていって欲しいと思う。
時間は掛かったけれど推測が確信に変わった。
彼女は、"ずっと一緒に世界を目撃する"のはあくまで結果でいいと考えていて、そこは刹那を重んじている。
そして、その分、だからこそ、全力だ、一秒ごとに。
その都度考えた上でのそれは、本当に潔く、美しい。
ただ、"正しい欲望"に実に正直なのだ、幸せに慄く隙も無いくらいに。
例えば、「全部一緒だったらいいのに」なんて、そんな妄信的な台詞でさえ地に足を着けて言ってしまう、正しくだ。
中途半端な欧米化の所為かなんて私には判断できないけれど、イエスかノーで答えることは特に誠実でも何でもなく、寧ろ時にそれは私にとっては無責任や怠惰にさえ映る。
全てを二分法してしまえる程、もう世の中も脳みそもシンプルではないから。
そして最後には『409ラドクリフ』がまた、読みたくなった、多分これから先も、何度でも読みたくなるのだろうと思う、ノーラと夏美の居る、温くなった真夏のプールの底にあるみたいなニューヨークのラドクリフ通りに、一緒に沈んでしまいたくなる瞬間が。
江國香織氏が好きになった。
たまたま私が女として生きているから、きっと私がストレートな男性として生きていたならば、江國香織さんの文章は理解出来ない部分があるかも知れないと思うし、男の人の描く男性バージョンのこういう文章は私は多分全然読みたくない。
フェミニストではないけれど、下心は品性に欠けると思う、だから純度の高いフェミニスティックな言動程、高価なものは無いんじゃないだろうか、しかし、猛々しさと感じの良い男っぽさの境界は実に曖昧で紙一重だ。
生活が豊かだと思えるアイテムが増えてゆくこんな風に誘惑されるなら大歓迎だ、津波の様にやってきて全部持って行って欲しい、全くもって悪くなんかない。