eau chic. | Welcome to world of mine.

eau chic.




相変わらず時間の使い方が上手になれないけれど、満ち足りた月に締め括られた一月の最後の週は充実していて、美味しい食事と共に過ごす夜は日々、どんどん更けて行った。

東京へはいつも今だと思い立った時に、ばたばたと厚かましくも心の準備だけは周到に済ませて、取り敢えず根拠も無く行っている気がする。
人が多過ぎて自分の理解の範疇を越えていることが分かっているから、始めからすれ違う他人に対して余計な神経とエネルギーは使わない、そんな暗黙の了解が東京の街には在る。
他人と知っている人の境界が目に見えるかの様にはっきりしていて、他人は他人、友人は友人、自分は自分で、必要以上には干渉されない、街の規模は大きくなれど、そんな空気が私にとってはとてもとても、その部分は関西に居るよりも遥かに楽だった。
なんだかいつも思うけれど東京は小さなアメリカみたいだ、色んな人がやってきて、目まぐるしくも流動的、そしてときにそれは暴力的な程に進むということを躊躇わない。
そこに足を付け、根を張り、自分の細胞とリンクさせていく、ような土地にはなり難いのだろうけれど、しかし利用するには十分過ぎる程のものが揃っている東京は、道具だ、"使っている"という感覚を滞在中ずっと強く感じていた。
内側だけで過ごすのはとても楽しい、しかしフィールドがしっかりするまでは浪費することも多いけれど外側とも向き合っていかなければならないんだろう。

東京に来たときには何故か必ずと言っていい程、知っている人を見かけたり、思いがけない人にばったり会ったりして、離れた土地という感じが全然しなくって、バスに揺られて冠雪富士まで見てきたというのに何だか変な気分だ。
離れた土地で偶然出くわす馴染みの顔というものは、哀愁めいていて悪くはない、現実はそんなロマンチックには出来ていないけれど、ロスト・イン・トランスレーションで描かれている漂流感溢れる東京を思い出した。
みんな上手に生きている。

変わっていくことが世の常だということを、私はもう少し理解しなければいけない。



Welcome to world of mine.