前回の記事で、2013年2月にマレーシア・サバ州での軍事作戦を行ったとして名前を挙げたジャマルル・キラム三世が、10月20日にマニラで死去した。享年75歳。
キラム三世は、かつてスールー諸島を支配していたスールー王国の「スルターン」の末裔であり、「世界でもっとも貧しいスルターン」を自称していた人物である。今年2月には約400名の「スールー王国軍」を率いて自らマレーシアのサバ州に上陸、この地の領有権を主張していた。この時、キラム三世は、「マレーシアはスールー王国からサバ州を『租借』しているだけである。兵士らは徹底抗戦せよ」と檄を飛ばしたとされている。
しかし、数週間の散発的な戦闘と睨み合いの後、マレーシア軍が開始した総攻撃において「スールー王国軍」は壊滅的打撃を受け、4月か5月までにキラム三世はマニラに戻っていた事が確認されていた。
しかし、数週間の散発的な戦闘と睨み合いの後、マレーシア軍が開始した総攻撃において「スールー王国軍」は壊滅的打撃を受け、4月か5月までにキラム三世はマニラに戻っていた事が確認されていた。
いつか、かつてのスールー王国を取り戻そうというのがキラム三世の「夢」であった。そして、様々な謀略を用いてその夢の実現を目指し、ブルネイのボルキア国王や、モロ民族解放戦線などとも関係を維持しながら、時にマニラの政府を大きく揺すりつつ活動して来た人物である。
2月のサバ州の事件は、キラム三世にとっては夢への挑戦の第一歩であったのかも知れない。まさに、夢の実現のためなら、悪魔とでも手を組むとでも言わんばかりの姿勢であったが、この人も年齢には勝てなかったのか。否、このサバ州における武装蜂起の失敗で、精神的にも大きなダメージを受けた事が、その気力ばかりか寿命までも縮める事になったのかも知れない。
キラム三世は確かに人気があった。マニラの政府も、その影響力を無視する事は出来ないくらいのものであった。しかし、彼が一人でいくら頑張ったところで、スールー諸島に再び彼の王国を建国するという「夢」を実現出来るはずもなかった。ところがキラム三世は、その目標に向かって突き進んで行ったのである。
恐らく、ブルネイの王様や、他の武装勢力、そしてもしかしたら中国辺りの様々な謀略資金や武器弾薬の支援を得た事で、彼はその「夢」を辛うじて支えていたのかも知れず、実際に400名もの武装勢力を動かしたのである。しかし、9月のモロ民族解放戦線によるサンボアンガ市への攻撃では、かつての盟友であった同組織の指導者、ヌル・ミスアリを批判していた。
キラム三世の死を受けて、マラカニアン宮殿の他、多くのフィリピン政界の重鎮が哀悼の意を示しており、その中には故・マルコス大統領の妻、イメルダ夫人もいる。
老いてもなお、泥にまみれて先祖の栄光を取り戻すために戦ったキラム三世。この偉大なる「スルターン」は生前、自らの亡骸を、かつてスールー王国の首府であったマイ ンブン (Maimbung)に埋葬して欲しいと希望していた。
今、戦いを終えたその魂は、ようやく先祖の許に帰って行くのであろう。そのご冥福をお祈りしたい。
恐らく、ブルネイの王様や、他の武装勢力、そしてもしかしたら中国辺りの様々な謀略資金や武器弾薬の支援を得た事で、彼はその「夢」を辛うじて支えていたのかも知れず、実際に400名もの武装勢力を動かしたのである。しかし、9月のモロ民族解放戦線によるサンボアンガ市への攻撃では、かつての盟友であった同組織の指導者、ヌル・ミスアリを批判していた。
キラム三世の死を受けて、マラカニアン宮殿の他、多くのフィリピン政界の重鎮が哀悼の意を示しており、その中には故・マルコス大統領の妻、イメルダ夫人もいる。
老いてもなお、泥にまみれて先祖の栄光を取り戻すために戦ったキラム三世。この偉大なる「スルターン」は生前、自らの亡骸を、かつてスールー王国の首府であったマイ ンブン (Maimbung)に埋葬して欲しいと希望していた。
今、戦いを終えたその魂は、ようやく先祖の許に帰って行くのであろう。そのご冥福をお祈りしたい。
(続く)
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