日本シーレーン問題研究会 -10ページ目

日本シーレーン問題研究会

近い将来「日本の生命線(含むシーレーン)」となる南太平洋、特にパプアニューギニア(PNG:Papua New Guinea)周辺の情報を先取りして分析し公開しています。

ロンボック海峡の入口を守るオーストラリア海軍
インドネシアの海軍力が脆弱であり、とても中国の潜水艦隊に対応可能なそれではない事はすでに述べた通りであるが、そのインドネシアの背後には、オーストラリアという「大国」が控えている。

オーストラリアとインドネシアは、互いをして密かに「仮想敵」と見なしてはいるが、日本にしてみれば、この両国にはあまりケンカをしてもらっては困る。インドネシアは非常に親日的な国だし、オーストラリアは太平洋の安全保障を考える上でも、日本の強力なパートナーになり得るからだ。

事実、日本の商船隊は、インド洋の南東海域からインドネシア周辺海域に入って行くが、その際にオーストラリアの近くを通過して行く。かつて第二次大戦中は、この海域において日本帝国海軍の潜水艦隊が「通商破壊作戦」を実施し、英領インドやスエズ運河を越えてオーストラリアに戦略物資を運んで来る英豪商船に対する攻撃を加えていた事を考えると不思議な感じがするが、今日この海域において、日本はかつて攻撃を加えていたオーストラリアの海軍力に頼らねばならない。

事実、オーストラリアはインドネシア経由でやって来る大量の中東・南アジア系の難民に悩まされており、そんなオンボロ船でやって来る彼らを早期発見して阻止するため、時刻の海軍をしてこの周辺海域に多くの艦艇や航空機を配置しているが、この事はすなわち、この周辺海域の安定に結果として大きく寄与していると言っても良いだろう。

日本の潜水艦を欲しがるオーストラリア
オーストラリア国防省は近年、中国のアジアにおける軍拡を念頭に置きつつ、東西は太平洋からインド洋まで、そして南北は赤道以南から南極方面に至るオーストラリア周辺の広大な海域を防衛するためにも、今後オーストラリア海軍の潜水艦保有数を現在の6隻から12隻体制に倍増する方針を示しており、またその艦のサイズは4000トン以上のものを導入するとしている。そして、ロワン・モフィット海軍少将をプロジェクト・リーダーとして、新型潜水艦導入計画を実際に動かして来た。

そこで出て来たのが、日本から「そうりゅう」型潜水艦を導入出来ないか、という考え方である。なぜなら、日本は世界で唯一、オーストラリアが将来必要とする「野心的な」、つまり高度に充実し、かつバランスの採れた4000トン級の通常動力型潜水艦を建造している世界唯一の国であり、そんな「そうりゅう」型であれば、増強する中国海軍の水上艦艇や潜水艦部隊に対して、かなり優位な戦いを展開する事が出来るからである。実際、オーストラリア側からのラブコールにはかなり熱いものがあるし、すでに一年以上、日豪海軍関係者の間では実務的な話し合いが行われて来た。

日本は今のところ、潜水艦の完成品を外国に売るつもりはないと指摘されているが、そこで関係してくるのが、昨年末からにわかに話題になり始めた「武器輸出三原則」の見直し論議である。もちろん、過去の全く事例がないわけではない。例えば、かつて航空自衛隊で使用されていたF104戦闘機は、35機がアメリカ経由で台湾に売却され 中華民国空軍第3大隊に配備されている(阿里山計画)。だから、決して不可能というわけではない。

一方で、武器を製造し、海外に向けて販売することには「死の商人」的なイメージがあるし、非常に気をつけなければならない事が多いのも確かである。例えば、以前に朝日新聞が指摘していたように、もしイスラエルに日本製の武器が売却された場合、これまで非常に厚い友好信頼関係を築いて来た中東諸国との関係に亀裂が入るかもしれない、などという問題もある。だから、運用にもいちいちの政治判断が必要なのは当然の事であろう。その辺りは日本も十分に気をつけなければならない。

日豪、日イの「二国間海軍協力」も必要
インドネシアとオーストラリアの関係がイマイチしっくり来ない最大の理由の一つは、やはり「東ティモール問題」だろう。1990年代後半から急に激化した「東ティモール問題」は、2002年まで混乱を極めた、オーストラリア軍が主導する多国籍軍が現地に入り、インドネシア軍の息のかかった独立阻止派を押さえ込むことで独立は実現したが、これはインドネシアの対豪感情を著しく悪化させた。

当時、私の友人の何人かはオーストラリア軍人としてこの掃討作戦に参加しており、彼らは自らの任務が崇高で人道的な者と信じていた。一方で、その頃、オーストラリアの大学院で同じ寮にいたインドネシア人留学生は、オーストラリアの強引な「内政干渉」に対して怒りをあらわにしており、「絶対に許せない」と型をふるわせていたのである。

インドネシアにしてみれば、東ティモールはオーストラリアに「盗まれた」という感覚を持っている。遠くない過去にこんな問題があれば、その両国がすぐに仲良くなる事は難しい。しかし、日本はそんな両国の「仲直り」を待っているわけにはいかない。かといって、必要ともされていないのに、わざわざ面倒くさい仲裁に入っている時間もない。すると、日本はこれら利害を異にする国々とは、個別に良好な関係を維持して行くしかないだろう。

その中で、当面考えるべきことは、やはり海軍同士の相互協力である。海上自衛隊がインドネシア海軍と交流し、またオーストラリア海軍とも個別に交流訓練する。さすれば、日本はこのロンボック海峡のみならず、インド洋南東部からインドネシア周辺(かつては濠北と呼ばれた地域)の知見をもっと多く得る事が出来であろう。

(続く)

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日本が死守すべき「ロンボク‒マカッサル海峡」航路
現在、中東から日本に向けて石油を運ぶ際、すべてのタンカーはインド洋を通過するが、その周辺に展開する中国の拠点が『真珠の首飾り』と呼ばれている事はすでに述べた。その後、多くのタンカーは、マラッカ海峡以外に、インドネシアはバリ島とロンボク島との間にある「ロンボク海峡(Lombok Strait)」を経由して日本に向かう事になる。

ロンボク海峡は、水深が150mほどあり、喫水制限もないため、どのような大型船でも通航可能であるが、ペルシャ湾から東京湾までの距離は、マラッカ海峡経由では6,590 海里であるのに比べて、ロンボク海峡経由では7,580 海里であり、その差は990 海里となる 。

最新鋭の大型タンカー(VLCC)での燃料消費量を95 トン/日、燃料代を300 ドル/トンとし、全航程において平均15 ノットで航行したと仮定した場合、ロンボク海峡経由では3日間の所要時間増となり、約8万6,000 ドルものコスト増となる。しかし、既述のように、マラッカ海峡にはあまりに多くの不安定要素があり、南シナ海や台湾有事などの際には、最悪の事態として中国海軍などによる一時的な機雷封鎖などがあり得る事も想定しておかねばならない。

資源エネルギー庁では、中東産油国の原油生産が滞ったり、タンカーが通過するマラッカ海峡封鎖などによって、供給が遮断される事態になった場合、日本国内の原油価格は高騰し、「中国など大消費国に備蓄制度がない場合、日本にも深刻な影響を及ぼす」と指摘している。そのため、マラッカ海峡から南シナ海、バシー海峡周辺でいかなる事態が発生しても、中東やその他の地域から日本を目指す商船隊が、喫水制限のないロンボク海峡からフィリピン南方の「マカッサル海峡」に抜ける航路を自由に使えるよう、日本は同海域を「死守すべきチョークポイント」だと認識し、政治外交力、情報力、軍事力を可能な限り動員すべきである。

同海峡の無害通行権の確保さえ出来ていれば、「産業の血液」たる石油資源の確保は約束されるため、日本の経済基盤に揺るぎは生じない。ただし、この海域は日本から距離も遠いため、沿岸国の政治的な事情を考慮しつつ、それらの国々と共同でこの海峡周辺の防衛に当たるべきである。

中国にとっても「重要なルート」
この「ロンボク-マカッサル海峡」航路は、中国海軍が戦略的な突破を目指す第1列島線の外側を常に通るルートであるが、同時に中国商船隊も頻繁に使用しており、中国にしてみてもここと重要な航路なのである。つまり、ここでも日中の生命線が重なり合っているのだ。いまや、日中両国に向かう大量の船舶がこの周辺にひしめき合っていると言っても良い。

もちろん、マラッカ海峡が日本のみならず世界にとっても最重要チョークポイ ントである事に変わりはない。ただ、マラッカ海峡は、地形や治安の観点からのみならず、近年の中国軍の拡大と、南シナ海からインド洋に かけての軍事活動の活発化に伴い、安全保障の面からも非常に脆弱となっている。そして、この海峡におけるそれらの問題は解消されるどころか、益々増大しつつある。そんなマラッカ海峡の代替航路としての「ロンボク-マカッサル海峡」の重要性は今後もさらに高まるであろう。

懸念すべき一つの例は、中国潜水艦隊の行動だ。中国海軍は近年、海南島に大規模な潜水艦の基地を建設した。その中の「榆林基地」では、静粛性の高い「キロ級」潜水艦4隻を含む8隻の潜水艦が停泊する事が出来るが、中国はここから南シナ海に睨みをきかせている。そしてもちろん、この潜水艦隊は、南シナ海からマラッカ海峡にかけて行動しており、インドネシア沖でもすでに作戦行動を開始しているに違いない。

まだまだ脆弱なインドネシア海軍
ロンボク海峡の入口は、当然の事ながらインドネシア海軍が防衛を担当している。しかし、この海軍は水上艦艇を270隻ほど保有しているものの、対潜哨戒機はなく、対潜哨戒ヘリ「ユーロコプターAS565パンサー」を導入予定であるが、まだ実戦配備はされていない。また、潜水艦は「チャクラ級潜水艦」をわずかに2隻保有しているだけであり、しかもいずれも1981年に就航しているから、オンボロ潜水艦と言われても仕方ないくらいの老朽艦である。「2隻」と言っても、艦隊は必ず交代制で感染を運用するから、多くてもわずか1隻があの広大なインドネシア海域をパトロールしている事になる。もっとも、就役から32年という年数を考えれば、ほとんど稼働していないと考えた方が良いだろう。

2024年までに12隻の潜水艦を保有するとしているインドネシアであるが、もちろん、今の経済発展を続けて行けばそれも可能かも知れないが、頭数だけ揃えても艦隊はすぐに運用出来るはずもなく、早くて今から9年後の話だから、ほとんど当てにはならない。つまり、この海域では中国潜水艦を止め得るだけの能力を持った海軍は存在せず、まさに中国は「やりたい放題」なのであり、気味の悪い話ではあるが、日本に向かう石油タンカーの真下を彼らが自由自在に走り回っている可能性は大きいのである。

(続く)

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かつてはアメリカの「同盟国」だったイラン
アメリカとイギリスの支援によって民族主義者であったモサッデク首相を追放し、権力を掌握したパーレビ国王は、当然の事ながら、極めて「親欧米的」な政策を採用した。石油の収入を利用しつつ、日本の開発モデルを見習い、欧米企業を受け容れる事によって開発独裁を推進して行く。実は、国王が留学したスイスの学校の同級生には、後にCIA長官となるリチャード・ヘルムスがいるなど、子供の頃からこういった欧米エリートたちの中で育っていたから、彼が親欧米的になるのはある意味で当然の事であった。

国王は一方では、CIAの支援を受けて設立された秘密警察「SAVAK(サヴァック)」を活用して国民を徹底的に監視し、その発言を封じこめると共に、自らは贅沢三昧な生活をするようになった。映画『アルゴ』に描かれているのは、フランスの超音速機「コンコルド」でパリから昼食を運ばせたり、牛乳で体を洗う妻の姿である。

放蕩の限りを尽したようなパーレビ国王は、一方で極めて教養のある人物でもあり、英語やフランス語を流暢に話すので、各国のメディアにも注目されたし、自らF14戦闘機を操縦したりもしている。しかし、オイルショック後の石油価格の安定で経済破綻し、そこでこれまで押さえつけて来た国民の政治に対する不満が爆発した。

デモが多発し、戒厳令を敷いても国民の反撥を押さえる事の出来なかったパーレビ国王は、1979年1月16日、自らボーイング機を操縦してエジプトに亡命。その2週間後、イスラム教の指導者ホメイニ師がイランに帰国し、イスラム革命評議会を設立して、新たにテヘラン大学工学部の学部長でもあったメフディー・バーザルガーンを首相に任命した(イラン革命)。このバーザルガーン首相という人もまた、実に卓越した思想家であったのだが、こうして見ると、イランという国の指導者層の人材の豊富さに驚かされる。

日本の石油の約12%がイラン産
さて、出光佐三の活躍によって始まったイランからの対日石油供給であるが、現在では、日本国内で消費されている石油の約12%はイラン産となっている。つまり、今の日本にとって、エネルギー安全保障上の観点からも、イランとの友好関係は極めて重要なのである。長らくアメリカから「悪の枢軸」などと呼ばれ、制裁対象となって来たため、日本とイランの関係は綱渡り状態である事が多かった。例えば今年(2013年)6月には、三菱東京UFJ銀行が、アメリカの制裁対象国であるイラン他との間で、ニューヨーク州経由で1000億ドル(約9兆8千億円)規模の取引を行ったとして、同州に対して2億5000万ドル(約2,450億円)もの和解金を支払うことになっている。

そんなイランではあるが、ここに来て改革派のロウハニ大統領が登場し、アメリカとの関係改善を一気に進めている。もちろん、オバマ大統領以下、ホワイトハウスの面々も相当に前向きなようだ。こんなホワイトハウスの意気込みと、それに反対する勢力の戦いは、最近公開された映画『ホワイトハウス・ダウン』を見ても明らかだろう。

去年までは、モサッデク首相のあとに権力を握ったパーレビ国王の「贅沢三昧」を指摘しつつも、最終的にはイラン人を怪物か悪魔のように描いた映画『アルゴ』のような見方が主流であったが、今では「イランとの関係改善を果たし、言いがかりをつけて戦争をしたがる軍事産業に立ち向かう黒人大統領」と、彼を守ろうとする「落ちこぼれ警護官」が主人公の『ホワイトハウス・ダウン』が人気、というわけだ。こんな映画が出来るという事は、そこにオバマ政権の思いが相当入っていると見るべきだろう。

個人的には、こんなオバマ大統領とロウハニ大統領の急接近が、中東における長年の戦争や緊張を終わらせる歴史的な転換になるものと信じたいが、しかし一方で、こんなアメリカとイランの接近を嫌い、アメリカの中東に対する引き続きの積極関与と「イラン封じ込め」を願う勢力が様々な工作を仕掛けようとしており、現在進行中の二国間外交交渉は、この先どうなるのかまったく予測がつかない。

もし、この反対勢力が優位に立ち、それがイラン国内の保守強硬派とされる人たちの怒りを買えば、アメリカとイランの歴史的接近は「ご破算」となり、イランならびに中東情勢は再び過去の混乱に引き戻されてしまうだろう。

韓流ブームに沸くイラン
さて、国際政治の事はさておき、最近はイランでも「韓流ブーム」が起きているらしい。多くの人が、テレビから濁流のように流される韓流ドラマを視聴しており、その結果、「韓国はとても格好良くて礼儀正しくて素晴らしい国」というイメージが多くの国民に定着しつつあるのだ。日本がアメリカの言いなりになって、これまでの信頼関係を忘れたフリをしている間に、イランは我々のお隣・韓国のファンになりつつあるわけだ。

コンテンツを大量に流出させ、諸外国を「韓国ファン」にさせるというのは、ここしばらくの韓国政府の推進して来た重要政策であるが、かつては『おしん』を見て泣いていたイラン人が、今や韓流ドラマで『オールイン』されてしまっているかと思うと、とても残念な気がする。

とはいえ、日本に対する評価や感情は引き続き極めて良好だから、日本はここで再び、過去の日本とイランの関係を見直し、この国が国際社会にきっちりと復帰出来るように支援すると共に、草の根の交流を含めた独特の緊密な関係を維持して行くべきである。

(続く)

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出光石油の活躍
1951年の首相就任以来、石油の国有化による「植民地主義からの解放」と「イラン国民の幸福」を目指していた民族主義者モハメド・モサッデク首相は、イギリスの激しい圧力に一人で立ち向かっていた。

モサッデクの政策によって、イランで暴利を貪っていたアングロ・イラニアン石油会社をはじめとする欧米石油企業がすべて追放された事、そしてモサッデクが対抗策としてソ連に近付いた事から、イギリスはモサッデク政権を転覆させるための様々な工作活動を開始、イギリス軍がイラン南岸沖に展開して、イランは完全に封鎖される形となった。この時、イランとイギリスの戦争はすぐそばまで来ていたのである。

こんな最中、イギリスが「自分たちのもの」と宣言していたイラン産石油を、イギリスからではなく、イラン政府から買うと決断した一人の日本人がいた。出光石油の創業者である出光佐三である。当時、日本もまた戦後の廃墟の中から立ち上がるのに必死であったが、そのためには石油が必要であった。

元来、出光石油の店主として、「世のため人のためになる仕事をする」という経営理念を持っていた佐三は、敗戦日本の苦しい経済状態を何とかするため、「より品質が高く、価格の安い石油製品を日本の人たちに届けたい」と願っていた。その上では、国際価格より安く、品質もよいイラン産石油は大きな魅力であった。

一方で、創業以来、常に大手石油会社や欧米メジャーと一人で戦い続けて来た佐三は、イギリスなどの圧力によって潰されそうになっているイランの現状を知り、義憤を感じたのである。その結果、「大国の圧力を受けて困窮しているイランの人たちのために」という思いにも駆られた佐三は、遂に、一隻しか保有していなかった自社タンカーである「日章丸」をイランに送る事にしたのである。この佐三の決断や生き方については、出光石油のホームページや、大ベストセラーになった百田尚樹氏の『海賊と呼ばれた男』に詳しい。

イギリス海軍の海上封鎖を突破
日章丸は、行き先を「サウジアラビア」として日本を出発した。もし、イランなどと言ってしまえば、イラン沖で必ずイギリス艦隊に捕捉され、下手をすれば砲撃を受けて撃沈されてしまう。イギリスは当時、イランのモサッデク首相の政策はすなわち、宣戦布告に等しいと考えていたからだ。

そのため、当時日章丸に乗っていた船員らでさえ、行き先がまさかイランであるとは知らされていなかった。わずかに船長と航海長だけが知っていたのだというが、この二人はその責任の重さと任務の重大性に押しつぶされるような思いだったろう。ただ、それを力強く支えたものがあるとしたら、それは彼らも共有していた創業者・出光佐三の抱く熱い思いであったに違いない。

1953年4月、日章丸はイギリス艦隊の海上封鎖線を一気に突破し、イランに到着した。そこでガソリン、軽油約2万2000キロリットルを搭載し、翌5月9日には川崎港に無事帰港したのである。この事は、日本国民に喝采を浴びる事になり、かつ、当時イギリスに散々苦しめられていたイラン政府と国民に大きな勇気を与える事となった。何しろ、イギリス軍を恐れて誰も手を出さなかったイラン産の石油を、一人の日本人が「初めて買ってくれた」からである。

日本人の覚悟を示した出光佐三
一方、これに対して怒ったのはイギリスである。当然であろう。イギリスはすでに、イラン産の石油はすべて自分たちのもの、と主張していたからだ。その結果、アングロ・イラニアン石油会社は、石油の所有権を主張して出光を東京地裁に提訴した。日本中がその行方を注視する裁判において、佐三は裁判長に対し、こう述べたという。

「この問題は国際紛争を起こしておりますが、私としては日本国民の一人として府仰天地に愧じない行動をもって終始することを、裁判長にお誓いいたします」

結局、裁判はアングロ・イラニアン石油会社が後に提訴を取り下げた事で、佐三は遂に完全なる勝利を掴む事となったのである。しかし、この「日章丸事件」の直後、イランの完全独立を夢見たモサッデク首相は、アメリカのアイゼンハワー大統領の命令で、CIAがイギリスのMI6と共同で実施した「エイジャックス作戦」(イギリスの作戦コード名は「TPAJAXプロジェクト」)によって失脚し、数年間の投獄を経て自宅軟禁状態に置かれ、失意のうちにこの世を去った。

その後、英米の支援を受けたパーレビ国王が権力を掌握し、その時代はイラン革命にいたるまで四半世紀もの間続く事となる。そんな激動の時代にあっても、当時のイラン国民の多くは、日本にとって好意的な感情を持ち続けたし、日本人もまた同様であった。そして、日本は継続的にイランからの石油供給を受け続け、それが日本の未曾有の経済成長に多く寄与して来た。

今、『悪の枢軸』と呼ばれ、北朝鮮などと同格扱いされている姿から比べると嘘のような話であるが、これらはわずか50年前の出来事なのである。

(続く)

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