日本シーレーン問題研究会 -11ページ目

日本シーレーン問題研究会

近い将来「日本の生命線(含むシーレーン)」となる南太平洋、特にパプアニューギニア(PNG:Papua New Guinea)周辺の情報を先取りして分析し公開しています。

「悪の枢軸:イラン」・・・実は「大の親日国」
アラビア海を挟んでオマーンの対岸に位置するのが、イスラム教シーア派のペルシャ人国家「イラン」である。ブッシュ大統領(ジュニア)の頃以来、イランという国は「悪の枢軸」などと呼ばれ、90年代以来、欧米メディアからは、「あと数ヶ月でイランは核武装する」などと煽られて来たが、今日に至るまでそれは実現していないようだ。こんな「悪役」を演じ続けて来たイランであるが、実はこの国は「大の親日国」でもある。この国の人々は、少し古い人なら、「かつて一番苦しい時に勇気を出して石油を買ってくれた日本」という事を覚えていて、日本人に大変感謝しているし、日本製品に対する信頼もまた、当然ながら絶大なものがある。こんなイラン人の親日感情を作り出したのは、一人の日本人なのであるが、その事は後述する。

この国は、日本よりもはるかに古い歴史と文明を持ち、7世紀にイスラムが流入して以降も、モンゴル帝国の一部になったり、ティムール大帝国の時代になったりと、この地域における権力構造は著しく変化して来た。中世の頃には、この地域での貨幣経済が著しく発達し、東西交易の中で極めて旺盛に繁栄した時期も長い。しかし、この国も17世紀ごろには英露仏ポルトガルなどの欧米列強に浸食され、おなじみの「何とか条約」という名の不平等条約をいくつも呑まされ、縮小して行った。

イランの石油を独占し、植民地化したイギリス
イランの石油を最初に発見したのは、イギリスであった。当時のイギリスは、ロシアとイラン一帯の支配権を巡って争っていたが、当時、石油の価値をほとんど理解していなかったイラン人の無知につけんだイギリス人らは、『アングロ・イラニアン石油会社(AIOC)』を設立し、石油価格を一方的に決定する事で、一人莫大な富を稼ぎ出していた。もちろん、ロシアから変わったソ連もまた、イランの石油に目をつけており、北部に自らの息のかかった政権を樹立するなどの動きに出た。かつては、地域でもっとも栄華を誇ったイランの人々は、近代以降、こうして欧米列強に収奪され続けたのである。

イギリス領インドとソ連に挟まれていたイランは、欧州で第二次大戦が始まると、こんな両国からの圧力を交わすため、「それ以外の国」に接近するようになる。つまりドイツである。この事を危惧した英ソ連合軍は、1941年に共同作戦を発動、イランを攻撃した(イラン進駐)。「Operation Countenance、カウンタナンス作戦」と呼ばれたこの作戦の目的は、イギリスにしてみれば、莫大な利益を上げ続ける「アングロ・イラニアン石油会社」の権益を守り、また、イラン産石油がナチスドイツに渡る事を防ぐ事であり、ソ連にしてみれば、対独戦に必要な武器弾薬(英米より供与)を輸送するための通称「ペルシャ回廊」を防衛する事であった。この結果、イランは北部をソ連に、南部をイギリスに占領されてしまう。

植民地主義に対して立ち上がるイラン
そんな中でも、イランは第二次大戦後の独立に向けた地歩を確立して行く。米英ソの首脳が初めて一緒に集まった会談とされる「テヘラン会談」(1943年)において、イランは戦後の独立承認を取り付けたのである。しかし、イギリスやアメリカは、戦後になってもイランの石油権益を維持するために干渉し続けた。しかし、そんな英米の干渉に対して完全と「NO」を突きつけた人物がいた。民族主義者のモハンマド・モサッデグ(1882-1967)である。フランスのソルボンヌ大学から、スイス・ヌーシャテル大学に進んで法学博士を取得したモサッデクは、戦前から「反植民地主義」を掲げて政治活動を行っていたが、1951年、ついに首相に選出される。モサッデクの首相選出の方法は極めて「民主的」なそれであった。しかし、この事は英米にとって大変な「脅威」であった。

イギリスによる「イラン封じ込め」
そんなモサッデクが最初に行った政策は、アングロ・イラニアン石油会社が長年暴利を貪って来たアバダン石油をはじめとする、国内の石油の「国有化」であった。この「石油国有化」は、すなわちイギリスからの完全独立を意味していた。つまり、国際石油資本(メジャー)が、イランから追放される事となったのだ。これに対して、イギリスが怒らないわけはない。結果、イギリスはイランが独自に販売しようとする石油を国際市場から閉め出し、「イランの石油はすべてイギリスのものである」と主張、イラン政府と石油取引をする者は、誰でも攻撃を加えるとしてイラン沖に艦隊を派遣、イランを海上封鎖した。良質で安価なイラン産石油は各国の石油会社や政府にとっては大きな魅力であった。しかし、それを直接買うわけにはいかない。もしタンカーなどを派遣すれば、沖合に展開するイギリス海軍がこれを撃沈するに違いないからだ。

立ち上がったのは「一人の日本人」
この結果、イランの経済は大きな打撃を受け、国民生活は窮乏の一途を辿ることとなる。せっかく植民地からの独立を果たし、主権を回復して国民生活を豊かにするために「石油の国有化」を実現したのに、このままでは、その「逆」を行ってしまう事になる。イランの真の独立は風前の灯であるかに思われた。そんな時に現れたのが「一人の日本人」であった。この日本人の勇気が、イラン人の独立意識を一気に勇気づける事になったのである。

(続く)

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カダフィー大佐一家の「亡命」も受け入れ  
今年(2013年)の3月、私はマスカット市内の「アル・ブスタン・パレス、リッツカールトン」というホテルに滞在していたが、ある日地元紙に目を通していたら、リビアの故カダフィー大佐の妻子の亡命をオマーン政府が認めたという記事が載っていて驚いた事があった。そうしてしばらくロビーで人を待っていたら、まさにそのカダフィー一家とその取り巻きらしい人たちがゾロゾロとやって来て、二度驚いた。

地元の警備要員の他、英国系民間軍事会社らしい人間の姿もあったし、石油会社の人間の姿もあったし、その後、エレベータの中でロシア語訛り人にも出会った。噂によると、その日からしばらくは、あの超高級ホテルが「満室御礼状態」であったそうなので、つまりはいろいろな勢力がこの「カダフィー利権」を巡り、同じ敷地内でニアミスを繰り返しているのが判った。まさに、国際政治の最前線というわけだが、こんな事があの小国で起こるという事は、つまりオマーンという国がそれだけ上手な外交を展開していることの証左であろう。

 国王と日本人女性の「ロマンス」  
オマーンは大変な親日国である。東日本大震災では、世界で四番目に多い義援金を送って下さったが、この国の人口は280万人ほどであるが、その約3割が外国人である事から、国民一人あたりの換算額では世界最高だろう。その他にも、震災からの復興を少しでも早めて欲しいとの願いから、オマーンの王族系企業が福島県南相馬市の一企業に対して26億円もの浄水器を発注したりしている。こんなオマーンという国の思いを、日本人は感謝の念を込めてしっかりと認識し、記憶すべきである。

歴史上、初めてこの国を訪問した日本人は、1880年に軍艦『比叡』を率いてやって来た元薩摩藩士・伊東祐亨大佐(後の海軍大将)である。また1924年には、英国王立地学協会会員でもあり、雑誌『日本人』を創刊した志賀重昂がマスカットを訪問、当時のタイムール国王と面会している。カブース現国王の祖父にあたるタイムール国王は、日本に大変な興味を有していたが、恐らくそれは伊東や志賀などの影響によるものだろう。

当時、オマーンは地方部族との内紛が絶えなかったが、これに疲れたタイムール国王は、1932年、後に鎖国政策を取ることになる息子のサイード3世に王位を譲り、自らは憧れの日本に向かった。そして1935年、神戸で開かれたダンスパーティーで、タイムール殿下は当時神戸税関の女性職員だった大山清子さんに出会い、結婚。神戸で仲睦まじく暮らし始めた二人には、やがて念願の娘が生まれたのだった。日本とオマーンの関係史には、こんな「ロマンス物語」がある。(残念な事に、清子さんは三年後に結核で死去、タイムール殿下は失意のうちに娘を連れてオマーンに帰国した。その娘はブサイナ王女といい、現在もマスカット市内にご健在であるという。この方は、今のカブース国王の叔母にあたる)

「サヤインゲン」「モンゴイカ」「石油天然ガス」
日本で冬に入手出来るサヤインゲンのほとんどが、オマーン産であることはあまり知られていない。またマグロやモンゴイカも日本向け輸出品目だ。現地でそれらの刺身を食してみたが、実に新鮮で美味であった。

この国の石油や天然ガスは日本にも輸出されている。1924年にオマーンを訪問した志賀重昂は、すでにその石油資源に着目していたが、実際に生産が開始されたのは1967年のことであった。以来、国は鉱業に依存する成長を続けて来たものの、その埋蔵量は決して多くはなく、この経済構造をどう転換するかが重要な国家目標となっている。

一方、日本にとってオマーンは地政学的に重要な国である。ここ何年も、オマーンの隣国「イラン」における緊張が生じる度に、日本に向かう石油の9割が通過する「ホムルズ海峡」が封鎖される危険性が指摘されて来た。現在、そのイランで穏健派のロウハニ大統領の登場と対米強硬路線の放棄で、中東情勢は著しく変化しつつあるが、このロウハニ大統領が権力を喪失し、対米保守強硬派が権力を掌握すれば、「ホルムズ海峡」の封鎖は一気に現実的なものとなる。

日本の「救世主」となる可能性
しかし、ここでオマーンという国が、日本に対する「救世主」として登場して来る事になる。まず、オマーンの南岸はインド洋に面しているため、量は少ないものの、オマーン産原油だけはいつでも日本に輸出可能であるという事だ。さらに、オマーンはそのホルムズ海峡の南側に「飛び地」の領土を有しているため、仮に同海峡が封鎖されても、商船隊はこのオマーン領海内をギリギリ通過してインド洋に抜ける事が出来るのだ。この事はとても重要な意味を持つ。

この海域を防衛するのは、4200名で構成されるオマーン海軍である。小規模とはいえ、長年米英仏軍との合同訓練や情報交換を行って来ており、中東の国々の中では最新の装備と戦術を保有している。一方で数千年間、インドや東アフリカ、中国などと海上交易を行って来たオマーンの人々は、16世紀には東アフリカにあるポルトガル軍要塞を陥落させ、後にパキスタン南岸に至るまでの広大な海洋帝国を構築したという歴史を持っている。つまり「資源国」であるオマーンには「海洋国家」としての誇りもあるのだ。

エネルギー戦略の一層の拡充を図るためにも、日本は「親日国・オマーン」との関係を一層強化し、安全保障面でも相互に連携すべきだろう。

(続く)

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「親日国・オマーン」の戦略的重要性
アラビア半島の東南岸に「オマーン」という国がある。広大な砂漠だけではなく、3000メートル級の山や緑の濃いオアシスも点在しており、非常に美しい国だ。日本の4分の3ほどの面積に居住する全人口はわずか285万人であるが、そのうち外国人は90万人近くにのぼる。GDPは日本の青森県とほぼ同じであり、一人あたりのGDPは台湾などと同水準である。ここからはしばらく、オマーンという国が日本にとってどのくらい地政学的に重要な国であるかを説明したい。

イギリスの強い影響 
「非同盟中立」を国是とし、イスラム教を国教とするこの国は、親欧米国家でもある。イラク戦争では米海空軍が展開したし、英軍特殊部隊(SAS)の前線司令部も開設されている。

訪問国がどの国と安全保障上の関係を持っているかを知りたければ、その国の軍隊が持つ装備や、石油会社の名前を見れば大体見当がつくものだが、今年の春先にこの国を訪問した際、首都マスカットの空港で目撃したのは、いずれも英国製の輸送機と戦闘機が誘導路を走っていく姿であった。また、国内に展開する主要石油メジャーはロイヤル・ダッチ・シェル(RDS)である。  

この国の発展は、1970年まで完全に停滞していた。なぜなら、当時の国王サイード3世が大の欧米嫌いであり、眼鏡も自転車も洋服もすべて「欧米のものだから禁止」というような極端な「鎖国政策」を敷いていたからだ。その感覚は、日本でいうなら「神風連」のそれに近いが、詰まる所は石油利権などを狙って巧妙に中東に侵入しては収奪を繰り返して来たイギリスに対する徹底的な嫌悪感が根本なのだろう。しかし、このサイード3世は1970年、突然に権力を失ってしまう。イギリスの士官学校に留学していた息子のカブース皇太子が反乱を起こし、父を追放したのである。

カブース皇太子はそのまま国王と也、翌年には英国から独立、国連にも加盟した。以後、カブース国王の「善政」の下、オマーンは全方位外交を展開、急速に国力を回復したのであるが、「父の追放」と「独立」には宗主国イギリスの意思が強く働いいた。しかし、カブース国王はそんな国際政治上の力学を巧みに使いながら、国家の近代化と国民の幸福のために大きな道筋を開いたのだ。

もちろん、今日のオマーン政府をして「イギリスの傀儡」と見る人もいる。国王は政治の実権を握っているが、結局はイギリスの嫌う政策を導入する事は実際には出来ないからだ。この辺りの事情は、地下資源豊富な東南アジアの小国「ブルネイ」と似ている。(ブルネイの事情については、改めて後述する)

欧米とイスラムの「緩衝役」  
しかしそれでもカブース国王のとった政策は、あまりに果敢であり、スマートであり、先進的であったと評価すべきだろう。国王がもっとも心を砕いた政策の一つは、欧米のみならず、周辺の湾岸アラブ諸国との関係強化の他、何かと複雑な利害関係で衝突する事の多いこの地域の「緩衝役」を演じる事であった。

アラビア海を挟んだ隣国イランは、歴史的にもオマーンに対して侵略を繰り返して来た「ペルシャ人国家」であるため、必然的に今日でもオマーンは必然的にイランを仮想敵としているが、一方で、そんなイランを地域社会から孤立させないための舵取り役に徹しているのも、カブース国王の卓越した政治手腕によるものだ。事実、オマーン国軍は米軍やサウジアラビア軍と演習をしながら、同時にイラン軍と合同演習を行い、そうかと思えば、あのイスラエルとも外交関係を築いている。

まさに、欧米とイスラム諸国を繋ぐ「緩衝役」だが、まさに小国の生き抜く知恵である。ちなみに、ソマリア海賊対策では、海上自衛隊の艦隊も寄港している。

(続く)

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「インド領内」に中国軍部隊が侵入
中国とインド、そしてパキスタンの国境線が交差するカシミール地方の東部に「アクサイチン」と呼ばれる地域がある。中国語(簡体字)で「阿克賽钦」と表記されるこの地域は、チベット高原の北西に位置し、崑崙山脈とカラコルム山脈に挟まれた大きな盆地だ。面積は日本の九州と同じくらいだと言われているが、古来よりインドやタリム盆地と西域を結び、またウイグル族によるメッカ巡礼のために使われるなどして使われた交通の要衝である。

この地域は長年、中印の領土紛争の象徴的な場所であり続けているが、1962年、標高の高いこの高地の奪取を目指す中国は、高山病対策のために標高の高い地域での訓練を十分に施した人民解放軍8万人を投入した。これに対して約1万強のインド軍が激しく抵抗したが、戦線は各地で破られ、終わってみれば戦死1300名以上、行方不明者約1700名、捕虜約4000名という散々な人的損害を出したインドが敗北した(中印国境紛争)。これ以来、「アクサイチン」は現在まで中国により実効支配されているが、インドも引き続き領有権を主張している(インドはこの地域を「ラダック/Ladakh」と呼称している)。

今年(2013年)4月15日、そんな中印国境で一つの事件が発生した。「アクサイチン」近くのDaulat Beg Oldi地区の南30キロのインド領内に、突然「約50名の中国軍部隊」が進出、ここで野営を行ったのである。この地域は、中国軍とインド軍の両方が巡回警備を行っているが、両国とも、この地域において恒久的な軍事施設を作る事は避けていた。しかし、そんな長年の「慣行」が突然出現した中国兵によって揺らいだのである。これに対し、インド軍は直ちに対抗部隊を前進させ、中国軍宿営地からわずか300mのところに布陣して相手を監視した。この緊張は約3週間続いたが、5月5日に行われた双方の合意によって、両軍の部隊は同地から撤収している。

こんな中国の動きに対し、インドは早速対抗措置を繰り出した。2013年8月、インド空軍はC130輸送機「スーパーハーキュリーズ」の能力実証実験として、同機をDaulat Beg Oldi地区に着陸させたのであるが、その場所は中国兵が野営を行った場所からわずか数キロの地点であった。この基地は標高5100mの場所にあるため、今回のC130輸送機の着陸は、中型輸送機による着陸地点としてはもっとも標高が高いという世界記録を作る事になったが、この行為はすなわち、この地域に対してインド軍の大規模な陸上部隊をいつでも投入可能である、という展開能力の高さを中国側にアピールし、その出方を牽制したものであろう。

中印国境紛争での敗北以来、インドは中国を国防上の最大の仮想敵の一つと見ているが、今回の中国軍の侵入は、今後のこの地域に対する中国の攻撃意図を明白にしたものであり、インドは今後もしばらくはかなりの緊張を強いられる事になる。

反撃するインド
一方でインドは経済的にも、中国の裏を突くような形で反撃している。マラッカ海峡の向こう側、中国の裏庭である南シナ海において資源開発に参画し、地域的な影響力を行使しようとしているである。最近、インドの国営資源企業が、スプラトリー諸島西側一部海域の主権と権益を主張するベトナムと共同で、同海域の石油・ガス資源探査を行う方針を発表。これに対して中国政府がインド政府に対して猛抗議をしたが、インド側はこれを断然拒絶。中国は同海域について「中国固有の領土・領海・排他的経済水域であり、権益も中国のもの」と反発している。  

 インドは地理的に見ても、マラッカ海峡を挟んだ広大な海域において、強大な外洋型海軍建設を押し進め、その軍事力を裏付けとして政治的・経済的にも周辺地域の資源権益確保に邁進する中国に対抗し得る唯一の国家である。そして、中東からの石油を輸送するにあたって、インド洋を避けて通る事の出来ない日本商船隊保護という観点から、日本はインドの海軍力に期待するばかりでなく、一定の緊密な協力関係を築いておく必要がある。 

次の記事では、以前に『内外ニュース』に掲載された筆者の記事を基に「親日国・オマーン」の戦略的重要性について説明したい。

(続く)

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中国原潜のインド洋進出 
2011 年7 月、中国大洋鉱産資源研究開発協会は、深海の活動を組織・管理する国際機構「国際海底機構(ISA)」よりインド洋海底の資源調査などの認可を得たことに関し、米誌『ワールド・ポリティクス・レビュー』は、中国が今後、インド洋の鉱物資源の獲得を目指すだけでなく、原子力潜水艦のインド洋における巡航区域を大幅に拡大する可能性があると指摘した。

ISA が中国に認可した内容は、インド洋の西南区域3900 平方マイルにおける15 年間の資源調査と優先的な採掘、軍艦によるパトロールの法的権限。しかしインド政府は、中国の真の狙いが軍事的な動機にある可能性を懸念している。なぜなら、海底調査を理由とすることによって、中国の原子力潜水艦のインド洋における 巡航区域を大幅に拡大することが可能になるからである 。

これまでの、沖縄尖閣諸島周辺での中国海洋調査船の活動や、2004 年に石垣島周辺海域で発生した「漢級原子力潜水艦領海侵犯事件」(海上自衛隊史上2 度目の海上警備行動発令)のケースを見ても、このインドの懸念は、決して荒唐無稽なものではない。  

水資源も「戦略兵器」に
 中国は、水資源においてもインドを圧迫しつつある。インドは雨期に降雨が集中するため、年間の平均降水量は日本の1750 ミリより少ない1250 ミリとなっている 。 2009 年10 月、チベットからインド、バングラデシュに流れる国際河川「ブラマプトラ川」の上流で、中国がダムを建設中であることがインド紙の1面トップで報じられた。すでに5 基のダムが建設中である事を中国側は認めているが、中国側の思惑次第で水量をコントロールされてしまうのではないか、とインド側は懸念を募らせている。

インドのエネルギー資源研究所の水問題担当、アショク・ジェトリー部長は「中国はブラマプトラ川の水を、自国へ引き込もうとしているのではないか」と懸念を表明しており、英国国防省の2007 年の報告書も「水問題は、軍事行動や人口移動を誘発する可能性を高める。中国がブラマプトラ川の流れを変えようとすれば、リスクは大きい」と問題を指摘している。  

事実、中国はメコン川でも90 年代後半以降、上流の中国内に四つのダムを完成させているが、2010年、タイ国内ではメコン川の水位が異常に下がる事態が発生し、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムの流域4カ国は「上流の中国内に完成したダムのせいだ」として非難する事態に発展した 。 これらの事から、今後中国が水資源さえも戦略的兵器として利用する可能性があり、インドは警戒を強めている。 

日本との軍事交流と南シナ海への経済的進出
 このように、軍事のみならず、地政学的な優位性においても中国に一歩遅れをとっているかに見えるインドはであるが、近年、日本との軍事交流、特にシーパワーにおける海上自衛隊との協力体制構築を模索して来た。2011 年10 月11 日、インド紙『ザ・パイオニア』は、日本とインド両政府が、安全保障分野での協力強化策の一環として、日本の海上自衛隊とインド海軍による合同演習を来年初めに行う方向で調整していると報じた 。

インドとしては、米海軍を除いて、装備の質や兵力、経験、練度等のすべての面において、アジア最強の海上戦力を有する日本と軍事的な交流を深め、良好な関係を維持する事は、インド洋で活動を活発化させる中国海軍に対する最大のけん制防御策の一つ と考えているのであろう。もちろん、インド海軍との共同訓練は、日本にとってもインド洋における日本の石油ルートの安全性向上という点において、極めて有益である。 

(続く)


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