なぜこうも染みるのでしょうか。
文章から浮かんでくる風景や匂いなのか、その理由は自分でもよく分からないけれど、著者の『帰れない山』や『フォンターネ』同様に、しみじみと「いいなぁ」と思える山岳小説です。
モンテ・ローザ山塊の麓の小さな集落であるフォンターネ・フレッダ。
作家のファウストが料理人として働く食堂小屋をメインの舞台とした日常が描かれるのですが、ファウストの雇人の女主人であるエリザベッタとそのかつての結婚相手であるルイジ、ファウストと惹かれあうようになるシルヴィアといった登場人物たちの、時と共に移ろう心の中の想いを、山の風景や匂いと共に、じわりと感じ取れるような気がします。
高地での生活は、環境的にも経済的にも厳しい現実がある事を本作でも教えてくれますが、それをありのままの風景として描かれているのも、それを素直に受け止めれるのかも。
山で失われる登山者の命についても、決して仰々しくは無く、あくまでも日々の中の出来事として描かれているので、余計に印象に残りました。
山という大きな存在を象徴に、変わらないものとしてのその安心感とは裏腹に、確実に変化するものがあり、それを懐かしむだけなのか、それとも狼のように幸せを求め続けるのか。
現実に折り合いをつけるのか、新たな夢を見るのか、居心地の良い場所を守ろうとするのか。
それぞれの想いと選択は、きっとどれもが正解なのでしょう。
基本的に低山もしくは日帰り登山ばかりな、なんちゃってハイカーな自分には、とてもこんな厳しい環境では生きていけないだろうなぁ。
それでも、本格的な登山を愛する人はもちろん、自分と同じようなハイカー、もしくは登山には無縁な人でもきっと、文章からにじみ出る美しいけれど厳しい自然と、そして山小屋で提供される料理の匂い、そこに住む人々の優しさに、憧れを抱かずにはいられないのではないでしょう。
文章から浮かんでくる風景や匂いなのか、その理由は自分でもよく分からないけれど、著者の『帰れない山』や『フォンターネ』同様に、しみじみと「いいなぁ」と思える山岳小説です。
モンテ・ローザ山塊の麓の小さな集落であるフォンターネ・フレッダ。
作家のファウストが料理人として働く食堂小屋をメインの舞台とした日常が描かれるのですが、ファウストの雇人の女主人であるエリザベッタとそのかつての結婚相手であるルイジ、ファウストと惹かれあうようになるシルヴィアといった登場人物たちの、時と共に移ろう心の中の想いを、山の風景や匂いと共に、じわりと感じ取れるような気がします。
高地での生活は、環境的にも経済的にも厳しい現実がある事を本作でも教えてくれますが、それをありのままの風景として描かれているのも、それを素直に受け止めれるのかも。
山で失われる登山者の命についても、決して仰々しくは無く、あくまでも日々の中の出来事として描かれているので、余計に印象に残りました。
山という大きな存在を象徴に、変わらないものとしてのその安心感とは裏腹に、確実に変化するものがあり、それを懐かしむだけなのか、それとも狼のように幸せを求め続けるのか。
現実に折り合いをつけるのか、新たな夢を見るのか、居心地の良い場所を守ろうとするのか。
それぞれの想いと選択は、きっとどれもが正解なのでしょう。
基本的に低山もしくは日帰り登山ばかりな、なんちゃってハイカーな自分には、とてもこんな厳しい環境では生きていけないだろうなぁ。
それでも、本格的な登山を愛する人はもちろん、自分と同じようなハイカー、もしくは登山には無縁な人でもきっと、文章からにじみ出る美しいけれど厳しい自然と、そして山小屋で提供される料理の匂い、そこに住む人々の優しさに、憧れを抱かずにはいられないのではないでしょう。
