映画『マイ・ボディーガード』と原作『燃える男』 | 固ゆで卵で行こう!

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『マイ・ボディガード』

先日、作家のA・J・クィネルがお亡くなりになられたニュースを知り、追悼の意を込めて『燃える男』を再読した。

昨年トニー・スコット監督、デンゼル・ワシントン、ダコタ・ファニング主演で舞台となる場所など設定を変えて作られた映画版『マイ・ボディーガード(邦題)』が公開されているのも記憶に新しいところ。


生きる力を失っているクリーシィがボディーガードをする少女と過ごす間に、二人の間に深い絆のようなものが生まれ、クリーシィが新たな命を吹き込まれる様子は、原作も映画も実に感動的に描かれている。


特に映画版の方はダコタ・ファニングの愛らしい笑顔がより一層引き立ててくれ、それだけに後半になってクリーシィが復讐の念に駆られ、少女を誘拐した者達への報復行動に「ゴー、クリーシィ!」と叫びたくなるだろう。


原作の方は、少女が誘拐され、クリーシィが復讐の為にゴッツォ島で体力を回復し、そこで少女に貰った新たな命のお陰で、人を愛する事の喜びを知るクリーシィの様子が描かれているが、映画版ではその部分が無い。

映画と原作では内容も変わっているので、確かにこの部分を切ったのは分かる。

しかし、映画しか観てない方は、原作の少女との交流や、ゴッツォでの生きる事に対しての喜びを描いた場面を是非読んでもらいたい。


映像化されて、原作よりもうまく描いてるなと思わされたのは、原作では100m走の練習をする場面が、少女が水泳のレースに勝つ為にクリーシィに訓練して貰っているところや、あまり好きではないピアノの練習に関して、原作ではないシーンを作って話をより膨らませて描かれているところ。

それぞれクリーシィと少女との交感が原作以上に感じられるシーンだったかも。


それだけに後半は実に「傷み」を感じる映画だった。

クリーシィがマフィア達に対する拷問や暴力を奮う場面も実に痛々しいが、少女の為に取るクリーシィの行動にも胸を打たされる、原作とはまた違った「痛み」を感じさせてくれた。


原作の方でも、誘拐された少女の運命に胸が痛み、その後クィネルの作品を読む気力がなかなか沸いてこなかったが、クィネル氏がなくなられたのをきっかけに、“クリーシィ”シリーズの2作目を先日からようやく手を付け始めた。


“クリーシィ”のファンにとって、映画版はどのように感じるかは分かりませんが、自分的には納得の映像化です。