学生時代の友人に世話してもらって最上町の一角にある農小屋で寝泊まりし、巨樹の探索をしていた。
最上町は、山々に囲まれた長閑な田園地帯だった。それも、かなり広くて平らな地形が続く。町を流れる最上小国川(最上川の支流)が、何だか南側の山裾に偏っているなと思っていた。町立図書館で郷土史を探してみたところ、最上町はかつて湖だったと書かれていて驚いた。(ほぉ~! そうだったのかァ)
郷土史には、次のように書かれていた。(要旨)
『10~20万年前、火山活動により最上町にカルデラが発生し、河川の流入により湖が形成された。現在の最上町は、湖に堆積された堆積層によって形成されている。』
(ふむふむ、カルデラによる凹みへの堆積層が現在の最上町の基盤である訳だ。じゃぁ、湖でなくなったのはいつだろう?)
すると郷土史には、興味深い伝説が書かれていた。
『最上町を昔は小国郷と呼んだが、湖だった小国郷には巨大な亀が住んでいて権現山の大蛇と大げんかをはじめ、すさまじい戦いの末に、負けた亀は西の山を割って逃げ去った』と。
(ほほぅ、ここで「権現山」が登場する。あの、大カツラのある……)
この「伝説」で注目すべきポイントは、次の3つだ。
①小国郷は湖だった
②亀と大蛇の大げんか
③亀は西の山を割って逃げた
「亀」は湖を象徴し、「大蛇」と「亀」との「大げんか」とは天変地異を象徴しているのではないか。それは、地殻変動あるいは大洪水? 私は、後者だと考える。神室連峰を背後にした権現山方面からの大洪水を「大蛇」と見立てているのではないか。
そこで、現在の最上町の地形図を入手してみた。それを見ると、最上町の中央に同心円がある。丸っぽい。これが、湖に堆積された堆積層を表すのだろう。これが、「亀」だ。権現山は、北(地形図の上部)に位置する。ここから「大蛇=大洪水」が「亀=湖」を襲い、「亀」は逃げていった。つまり、湖を堰き止めていた凸部が瓦解し湖が消滅した。
この話はいつ頃成立したのだろう。郷土史を読むと、「数千年前のことのようです」とある。この記述を見て驚く。(数千年前と言えば、縄文時代くらいではないだろうか。)文字文明はまだ到来していない時期だ。文字に頼らず、この伝説は語り継がれてきたのだ。
数千年前の縄文時代の人々は、湖が消滅する顛末をこれ以上にないほどの驚きを持って、身震いしながら見つめ続けたのではないだろうか。その壮大なドラマが、形を変えて今に残されているのではないだろうか。
※最上町の隣の大蔵村にも火山性カルデラ爆発の形跡あり。大蔵村の肘折温泉は、カルデラ性の温泉である。
(つづく)