シリーズ<生き様>
『箸』
ここに三本の箸がある。二本は同じ長さ。一本は長い。
私は長い箸。当然、もとは一組の箸でした。私は中国からのお土産で、そこそこ由緒ある物だったことから、この家の主人のお気に入りでした。けれど、不注意により私の片割れはだめになってしまいました。残された私はひどく悲しみましたが、自分ではどうすることもできません。幸い、価値がありそうだしせっかくのお土産だから、という理由で食卓の片隅に置いていただくことになりました。
私が片割れを失ったあくる日、主人は別の箸を買ってきました。輪島塗の光沢と金箔がキラキラと輝く、私のような素人目からもわかる高価な逸品。長さは普通でしたが、それは主人の新しいお気に入りとなりました。
私は竹を加工した筒型の箸入れから、主人とその手に掴まれた輪島塗を毎日眺めていました。以前、主人の手は私を掴んでくれていました。長めに作られた私を器用に操って、小さい豆なども上手に口に入れてくれていました。その優雅な箸捌きは、汁まみれになった私をうっとりとさせたものです。無用に長いと思われた自分がこんなに役立っているなんて。私は自分を、主人の一生の伴侶だと疑いもしませんでした。
ところがどうだ。いま、自分はなにもできない片端だ。一本だけの箸なんて、芋の煮っころがしを刺すくらいしかできない。こんな役立たず、捨てられても文句は言えない。でも、主人はこんな私を側に置いてくれている。そこになんの文句があろうか。食卓の片隅とはいえ、幸せなことではないか。
そう考えて自分を慰めても、やはり私は箸です。使われなくなった自分が惨めであり、いっそのこと…と、思い詰めながら毎日を過ごしていました。
ある日、主人の息子夫婦が孫を連れてやってきました。連れ合いを早くに亡くした主人は、ぶっきらぼうな態度ながらもたいそう嬉しそうでした。しばらくぶりに見る孫はもう幼児とはいえないほど大きくなっており、その日の午後、主人は孫との時間を思う存分楽しんでいらっしゃいました。私はそれを眺め、ひさしぶりに微笑ましい気持ちになったものです。
夕食の時がやってきました。支度は息子のお嫁さんがやってくれました。お嫁さんが食卓に料理を並べていると、ふと気づいた顔をされました。孫の箸がない。長い一人暮らしで客もめったにこない主人のところには、余分な食器類は殆どありませんでした。買いに行こうにも、近所の店は車でもしばらく走らなければならないほど遠い。なにより、せっかくの料理が冷めてしまう。
息子は自分と孫で一組の箸を使えばいいじゃないかと言って、嫁もそれもそうねと頷いたその刹那。
その刹那、主人は立ち上がり茶箪笥へ向かいました。なにをするのかと驚いた息子夫婦。ふたりを尻目に、主人は引き出しから大ぶりのナイフを取り出しました。一体どうするのか。息子夫婦も私も、何故か不安でいっぱいになりました。
そして、主人はおもむろに私とまな板を掴み、縁側へ連れていきました。
縁側にまな板を置き、その上に私を置き、私にナイフを当て、ナイフの背に左手を乗せると躊躇なく全身の体重をナイフに乗せました。私は真ん中から真っ二つになりました。
主人はシャッシャッシャッと器用に切断面を削り、私は短い子ども用の箸となりました。孫は手作りの箸にたいそう喜び、家族の楽しい夕餉が始まりました。
孫に使われながら私は考えました。私は由緒ある箸だった。しかも他の箸より長く、それに誇りを持っていた。本当は長いままでいたかった。だが、子ども用の箸として生まれ変わった。孫は嬉しそうに使ってくれている。箸として、それは正しいことのように思う。私が生きるためには、半分に折られ、短くなるしかなかった。主人に感謝すべきだ。だが、だが私は…いまでも私なのだろうか…。
考えると頭がおかしくなりそうなので、箸は考えるのをやめた。
食事が終わり、きれいに洗浄された箸はもとの竹筒に戻った。
箸はコトリと身じろぎすると、もう動かなかった。
<あとがき>
『それ』が『それ』である理由。以前から、気になっていたテーマでした。先日、仏壇で線香をあげるため三つに折りました。我が家では煙の苦手な者がいるので、早く燃え尽きるようにそうしています。折れた三本の線香は、同じ長さの短いふたつと長いひとつに分かれました。この長い線香は、折った自分のことをどう思っているんだろう。よくぞ長くしてくれた、と思っているのか。なぜ同じ長さにしてくれない下手くそ、と思っているのか。それとこのテーマを結びつけ、このような物語にしました。
ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。
#賞は狙ってないけれど #批評されたい #鞭打たれたい #ドM って言われます #自覚はない #とか言ってほめてもらうのも好きです #なんのこっちゃ #推敲する暇ないから #乱文乱筆お許しを