哲学カフェのような場所。

オンラインサロンリアル実践会

今回は、「欲求」ってなんだろう。
という話をしました。

「欲求」という言葉難しいです^^;

子供の頃親から言われたこともないし、
普段使うこともない。
せいぜい『欲求不満』くらい。

でも、「欲張り」とか「強欲」とか、
そういう言葉なら聞くなあ、
と思い当たりました。


というか、昔話で
欲張り爺さんが大きなつづらを開けると
お化けが出てきた!
という話ならものすごく記憶があります。


、、、と思ったけど、
つづらが出てくるのは、舌切り雀で、
欲張りだったのは、優しい爺さんの妻の
婆さんでした(笑)
あらまあ


と、とにかく、


これが、私と『欲』という言葉の出会いであり、
一番の刷り込まれている
イメージだと思ったので、
とりあえず、これについて書いてみます。


ポイントになる部分だけを
ちょっと抜き出してみますと、


優しい爺さんが雀からもらったつづらから
宝物が出てきたのを見て、
羨ましかった婆さん。
なりふり構わず雀の家に行き、
つづらを要求する。それも大きいやつ!
で、開けてみると、
生き物を可愛がらず、欲張った罰として、
ガラクタやお化けに襲われる。


って感じです。


考えてみれば、これは戒めなんですよね。 



多くの人にとって、欲という言葉は、
戒めとセットな気がします。


何かが、間違っている、過剰である、
だから罰が当たるよ、と諭している。



そこで、ふと頭をよぎるのは、
うちの双子の喧嘩。物の取り合い。


「○○ちゃんがもらえるなら、私も欲しい‼️」
「▲▲ちゃんだけずるい‼️」

なんて言いながら、
ひとしきり手がでたり、ジタバタ泣いたりして
ヒートアップしたあと、
けんかの熱が冷めると、

「ほかのもので遊ぶから、やっぱりいらんわ」
とどちらかが言ってあっさり終わる時があります。

見ていて、コケます。

こういう繰り返しを観察していると、

純粋にそのものを欲している場合もあるだろうけど、
相手が持っているのを見た瞬間に、
それが欲しい度合いが増す!
ということです。

そういうのは、なんかのきっかけで、
ギュッと握りしめたものを放った瞬間に
視界も広がり、
と同時に自分の中への視界も広がり、
欲求の優先順位がクリアになって、
「あ、そのゲームより、
実は作りかけのレゴの方が今はしたい。」
となるんです。


同じように、欲張り婆さんは、
爺さんがいい思いをしたのを見た瞬間に
何かに心を掴まれた。


爺さんが手にした「それ」が欲しくなった理由

うらやましい。
ずるい。
私の方がふさわしい。
私の方がいい思いをする価値があるのにおかしい。
上に立ちたい。。。


などなど、
それが何だったかは、正確には分からないけど、
とにかく、それまではなかったものです。


そのあと描かれるのは、欲張婆さんの姑息な姿。
その「欲」に振り回され、手段を選ばない姿。


うちの双子のように、とりあえず、
目障りな相手をぶちのめそうとするのに
そっくりです。


とはいえ、
そもそも生存競争というのがあるから、
似たような事は、
太古の昔から繰り返されてきたはず。
多少の強弱はあれど、
この感覚と全く無縁な人はいない気もします。


だからこそ、の昔話による戒め、なんでしょうね。


ただね、
それは本当に自分のしたいことなのだろうか?


という視点は巻き戻して持っていたいと
思うのです。


人よりも抜きん出たい、というか、出しぬきたい、
と焦って、
前は欲しくもなかったそれを奪い取ろうとすることで
いろんなものを失い、
本当の自分の欲求は満たされないまま
生きていくことで、苦しいってこともある。


いじわる婆さんは、
正直爺さんの隣に一緒に暮らしていながら、
ずっと何を感じていたのだろうか?


正直爺さんが一獲千金を当ててしまう前は、
いじわる婆さんはどんなことを愛し、
どんな暮らしをしていたのだろうか?


ってことです。


ここまで書いてきたら、
欲求ってのが、他者との関係で出てきた場合に、
人は振り回されることがあるよ、っていう
話のようにも思います。


絵をかいたり、おいしい食べ物を食べたり、
割と自分だけで満たせる欲求と、
他者との関係で沸いてくる
追い抜け追い越せ置いてかれるな、
という生存競争の延長のような欲求がある。


つづらを手にしなくても、死ぬわけじゃないのに、
もう絶対に隣の爺さんより、
でかいつづらを手にしないとダメー‼️
そうじゃないと、自分が全否定されるー‼️
かのような、錯覚?
みたいな欲求。


そういうものについて考えさせられます。



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そういえば、他者との関係といえば、
承認されたい、所属したい、
のような欲求もあります。


そういうのも、
その人の中には、それしかないのか、


どんな風に認められたいのか、とか、
どんな風に所属したいのか、
のような、
自分を見つめないと分からない欲求と
二重構造になってやしないか?


混沌としているけど、
自分の中で満たせる欲求もあるんじゃないか、



みたいなことも、気になり始めました。



欲求の話は奥が深すぎて、
なかなか大変です(^◇^;)