対話を学んでいます。
軸対話というものです。
くわしくはこちら


対話は行動ですが、
ハウツーではありませんし、
一つの価値体系を目指す行動原理でも
ありません。


これを説明するのは難しいのですが、
ちょっとやってみます。


私の思う対話とは、


全く違う価値観の人間であっても
成立するもの。


お互いを提示しあうだけだから。


だけ、とはいえ、簡単なようで
これが、なかなか出来ない。


そもそも勝ち負けのない会話、
ジャッジのない会話、
どれだけの人がしているでしょうか?


そこに気づくための、
日々の日常会話の見直しから始まります。



対話を経る事で、 
 
つまり、お互いを提示し合うということは

お互いの存在をそのまま認め
同時に
自分の存在を認めることにつながる。


認めると言っても
受け入れるのでも、染まるのでもない。
そのままそのまま、
存在を受け止めるだけ。


それを、人と話すことで、
できる。


伝わりますか?


対話は、何かに飲み込まれることではない。
対話は、誰かをコントロールをする事でもない。

しかも、


前述の、己を見つめる作業に加えて、

他者との間に、自分を提示した
という事実が
この世界における自分の存在を
認めることになる。
多分、ここが他者との対話の意味。
生きてていいよ。いや現に生きてるんだよ。
って感じです。


対話はDoだけど、
見えてくるのは
いくつものBeが折り重なる世界。


それ以上でも以下でもない。



何かの価値観に集約しようとか、
統一感を目指す教えではなく、


その逆


色とりどりの花の咲き乱れる世界🌺🌼🌸💠
を開くあり方。


対話そのものには色がないからこそ
そこに見えるのはカラフルな世界。


そして、


それを目いっぱい感じられる自分
であるときは
自分が空(くう)=空っぽである時
と私は感じます。


だから、対話は
自分の色と
他の人の色を
ちゃんと分けてみることができるもの。



妥協や、落とし所を探すためと
思われているかもしれないけど、
そうじゃなくて、


自分自身がありつつも、
空っぽの自分も並存しているあり方を
体験でき、


それは同時に、他の人の色をつぶさず
そのままそのまま感じることが出来る世界。


いくつもの世界が今この瞬間に
折り重なっていることを
感じることが出来るもの、です。


つたわってるといいなあ〜╰(*´︶`*)╯♡