寡聞にして知らなかった村上和雄 | 再開  オネオネ日記

再開  オネオネ日記

ぐるっと一周回って、元に戻っての再会です。タイトルも変更しました。いろんなことがあって、中断していました。やっと落ち着いたのでまたはじめようとしています。

先月肺炎で亡くなった、遺伝学者の村上和雄を熱く語るひとがあって、それでは調べてみますと答えて、ネットで検索してみた。

YouTubeで映画の予告編なんかをみて、「サムシング・グレート」とは何を言いたいのかと思い、Amazonで新書を購入した。

 

 

 

 

多数の著書のある中、これを選んだのは単にサムシング・グレートの文言があったからだ。

矢作直樹という外科医・救急医との対談だけれど、リアルな対談というよりも、一つずつがまとまった形ででの発言内容として編集されている。

読了後の、率直な感想からいうと、これは科学という意匠をまとった法話ないし説教と言えるのではないだろうかと思う。

科学的な言辞が施されているが、要は宗教心を持ちなさいというすすめだろう。

 

嫁姑とかの人間関係や職場での人間関係などを例にとった題材を科学に変えてみたという事だろう。

別にそれはそれで、いいわけで問題は、魂とか神とかの存在を肯定して実在すると言い切る点だろう。

そこまで言ってしまうと、はてなと思ってしまう。

 

Wiki記事では、サムシング・グレートとは「親様」のことだと明言しているらしいので、天理教の教祖を指しているのだろう。そうだとすれば、確かに実在している。

しかし、サムシング・グレートを「何かおおいなるもの」と考え、何か超越的なものを意味するととらえれば、もっと一般的になるだろう。そうだとすると、私にとっては、あるとも言えないし、無いとも言えないという見解になる。

 

言い換えると、あってもいいしなくてもいいという事だ。

 

これは面白かったので、すこしだけ議論した文章を作成してみることにした。