部署別食事会(^^♪
こんにちは(^^♪
この世の中にコロナが広まりだしてから みんなでご飯に行ったり
みんなで旅行に行ったりが全くできなくなってしまいました![]()
寂しいですし悲しいですし 言ってはいけない言葉で言わせていただければ《つまらん》です・・・
コロナ後に入社した子はまだ一度も食事会にも行けていませんし
社員旅行なんてとんでもない・・です![]()
でも こんな我慢しているのくらい 都会のご飯屋さんに比べればどうってことのない我慢ですよね・・
大きな旅館 小さなお宿 たった一人のお客様ですら来てくれない そんな旅館の人の想いに比べれば 生きるか死ぬかの毎日を送っている方たちに比べれば取るに足らないことだと思います・・
此の先 コロナがこの世の中からなくなることはきっとないんだと思います![]()
それはきっとみんなもうすうす感じてる![]()
ならコロナとうまく付き合っていかなければいけないんだと思うから
副反応が怖いけど ワクチンを打ったり 暑苦しくて嫌だけどマスクを付けたり
混雑を避けて 生活するという そんな習慣を身に着けていきましょう
そんな生活が普通だと思えるようになりましょう ッテことなんだと思います
マスク嫌いです・・ただでさえ暑がりの私は 蒸れて息苦しい・・
でも私が少しだけ我慢することで 誰かの安全が守れるのだとしたらそのくらいします・・
本当は 大好きな温泉にも行きたいです
しっかりマスクして 他のお客様と会わないように工夫して 感染防止対策を万全にして
大好きな温泉で海見たいです・・
でも もし私がそうやって行って 自分はすごく楽しくてリラックスできたとしても
万が一にでもウイルスを持って帰ってしまって それを大好きなあの子たちにうつしてしまったら
そう考えると 今は我慢できます![]()
私はね・・できない人もいるでしょうし しない人もいるでしょう
でも私はその中に入る人にはなりたくない・・
だから今はめっちゃしんどいし めっちゃつまらんけど我慢しなくちゃいけないなって思っています(^^♪
毎年お盆のお休みの前にみんなでおいしいごはんを食べに行っていました
昨年も行きたかったけど 我慢しました
今年こそ行けると思っていたけど 福井にさえ県独自の緊急事態宣言が出て
行かないという選択をせざるをえませんでした![]()
社長が言いました
今年も行けない!!
でも 会社の中で仲間たちと 距離を取って 飯 食べようぜ!!って・・
俺がおごる!!だから 飯 食おうぜ!!って・・・![]()
そしたらこんな顔に出会えました![]()
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やっぱり 少し離れていても みんなでご飯良いですね・・・
早く こんな顔にまた出会いたいです(^^♪
おいしそう~♡社長 ありがと!!
社用車 カーラッピングデザイン募集中(#^.^#)
おはようございます(#^.^#)
社用車 ハイエース にあなたのデザインを乗せて走りませんか?
コンセプトは 《繋ぐ》
あなたとあの人を繋いでもいいですし
心と心を繋いでもいいですし
想いと想いを繋いでもいいです
たくさんの人が生きるこの地球上で
今色んなことが起きていて
人類とウイルスとの戦いや
宗教上の争いや
自分たちの知らない事もきっと沢山起きているこの瞬間
大きい事は考えられないけれど
せめて 自分の仲間たち位
せめて自分の地域の人たちと位
せめて自分の隣で笑っているあの人たちと位
糸1ポンでもいいので繋がっていたい・・
そう感じます(#^.^#)
寂しがり屋なんですかね(^^ゞ
街を走っている時 この車を見かけて
少しだけでも 大切な人の事を思い出してくださったりしたら
私達も この丸岡と
この福井と
そしてあなたと
繋がっていられるんじゃないかな?
なんて考えちゃうんですよね
是非ご応募下さいませ(#^.^#)
詳しくは↓
https://www.rapyarn.jp/hdc/hiace_gaiyo.pdf
知覧特攻平和会館
おはようございます
雨・・・九州や広島の方はかなりひどい状況なようです・・
お世話になっている方
お邪魔した場所
皆さん どうか ご無事でありますようにと祈ります
鹿児島のさかさまに見るとお馬さんの丁度目のあたりの場所に
知覧という場所があります
そこに 戦争中に 特攻という作戦の名の元に 飛行機もろとも敵に体当たりをして還らぬ人となった若き青年たちの英霊を祭ってある場所があります
知覧特攻平和会館 と言います
この場所は 1985年 ちょうど次男が生まれた年です
その年に開館になりました
特攻で亡くなった方の遺書や遺品を ご遺族の許可のもと 展示してある場所なのですが
映像も その手紙や遺書も 全て 本当に その特攻隊員の方たちがかいたものです
特攻というその軍事作戦に意味があったのかどうかは別として
20歳そこそこの若者が ある意味自分の意志で 日本の為に死ににいくという・・
日本の為ではない・・家族を守る為に散って行ったのだと思いますが・・
そんな若者が家族に最後にしたためた言葉の数々に あれから何十年も経った今でも 胸が締め付けられる思いをいたします
死にたかった人などいるはずもない
きっと生きたかった・・そう思うと どんな気持ちで あの知覧飛行場を飛び立ったのか・・知覧だけではない・・それぞれの場所から・・・
あの時代に生きていたら 私はどうやって送り出したのだろうかとか・・
はたして自分の子供たちはあんな潔い言葉を残して誰かの為に命を捨てる事が出来るのだろうか・・とか
色々考えてしまいます
戦争が悪いとか 特攻が愚かな作戦であったとか そんなことは 其々が感じる事だと思うので
今それに何かを言おうとは思いませんが
せめて自分の子供たち位は その事実があったことは 知っておかないといけないと思うし
その事実の上に 先に いまがあるんだという事は ちゃんと知っておいてほしいと思っています
終戦記念日を前にして 1945年8月15日 午前11時30分に飛び立った最後の特攻隊員は あの天皇陛下の敗戦の言葉をいつ聞くことになったのだろうか・・・
あーーーーーーーーーーーあの時代スマフォがあったら一つの命を救えたのに・・・・
なんか・・・そんな時代を一つの命の中で体験していくことができるなんて すごいです・・
今 産まれた子供たちは はたして50年後 どんな世界になっているのでしょうか
今60過ぎの私達には知る由もない時間ですが
あの特攻隊の子達が飛行機の窓から見た日本の景色と おそらくそんなに違わない自然の中で
こうして生かせて頂いて・・・今思っている事をこうして残しておくことができて
自分の孫たちが大人になって自分のおばあちゃんが自分と同じくらいの年の頃に
何を考えていたのか 何を感じていたのかを 知ることができるのだとしたら・・
いや・・できるのですよね・・・
私が 76年前の特攻隊の人たちの想いに 心震わすのとおなじように
自分の孫たちも 今の我々の言葉に心を動かせてもらえるように
何を言わなければいけないか
何を感じなければいけないのかを
改めて考えなければいけないと
今思っています
オリンピックで 柔道の日本主将 大野将平さんがおっしゃった
《我々の姿を見て 何か心が動く瞬間があれば本当に光栄です》
という言葉が なぜか 重なって聞こえました
今を生きる我々の責任みたいなものを感じながら 今年も8月15日を迎えようとしています


