70年経っても・・・ | ☆松川レピヤンの奥さんのblog☆

70年経っても・・・

二人で力を合わせて努めて来たが,終(つい)に実を結ばずに終った。 希望を持ち乍(なが)らも,心の一隅(ひとすみ)であんなにも恐れていた“時期を失する”と言ふ(う)ことが実現して了(しま)ったのである。

去月(きょげつ)十日(とおか),楽しみの日を胸に描き乍(なが)ら,池袋の駅で別れてあったのだが,帰隊直後,我が隊を直接取り巻く状況は急転した。発信は当分禁止された。(勿論(もちろん)今は解除) 転々(てんてん)と処(ところ)を変へ(え)つつ多忙の毎日を送った。そして今,晴れの出撃の日を迎へ(え)たのである。便りを書き度(た)い。書くことはうんとある。

然(しか)しそのどれもが今までのあなたの厚情(こうじょう)にお礼を言ふ(う)言葉以外の何物でもないことを知る。あなたの御両親様,兄様,姉様,妹様,弟様,みんないい人でした。至らぬ自分にかけて下さった御親切,全く月並(つきなみ)のお礼の言葉では済みきれぬけれど「ありがたふ御座いました(ありがとうございました)」と,最後の純一(じゅんいつ)なる心底(しんそこ)から言って置きます。

今は徒(いたずら)に過去に於(お)ける長い交際のあとをたどり度(た)くない。問題は今後にあるのだから。常に正しい判断をあなたの頭脳は与へ(え)て進ませて呉(く)れることと信ずる。然(しか)し,それとは別個に婚約をしてあった男性として,散って行く男子として,女性であるあなたに少し言って征(ゆ)き度(た)い。

「あなたの幸せを希ふ(ねがう)以外に何物もない」

「徒(いたずら)に過去の小義(しょうぎ)に拘(こだわ)る勿(なか)れ。あなたは過去に生きるのではない

「勇気を持って,過去を忘れ,将来に新活面(しんかつめん)を見出すこと」

「あなたは,今後の一時(いっとき)一時(いっとき)の現実の中に生きるのだ。穴澤は現実の世界には,もう存在しない」

極(きわ)めて抽象的(ちゅうしょうてき)に流れたかもしれぬが,将来生起(せいき)する具体的な場面々々(ばめんばめん)に

活(い)かして呉(く)れる様(よう),自分勝手な,一方的な言葉ではない積(つも)りである。

純客観的(じゅんきゃっかんてき)な立場に立って言ふ(う)のである。当地(とうち)は既(すで)に桜も散り果てた。

大好きな嫩葉(わかば)の候(こう)が此処(ここ)へは直(じき)きに訪れることだらふ(う)。

今更何を言ふ(う)か,と自分でも考へ(え)るが,ちょっぴり慾(よく)を言って見たい。

●読み度い本(よみたいほん)

「万葉(まんよう)」「句集(くしゅう)」「道程(どうてい)」「一点鐘(いってんしょう)」「故郷(ふるさと)」

●観たい画(みたいが)

ラファエル「聖母子像(せいぼしぞう)」 芳崖(ほうがい)「悲母観音(ひぼかんのん)」

●智恵子(ちえこ) 会ひ度い(あいたい),話し度い(はなしたい),無性に(むしょうに)。

今後は明るく朗(ほが)らかに。自分も負けずに,朗(ほが)らかに笑って征(ゆ)く。

 

 

 

 

77年前 23歳の彼が 飛び立つ前に 婚約者の 智恵子さんにあてた手紙(遺書)の全文です

特攻という名のもとに 彼だけじゃない 若い命が数多く 真っ青な空の下に散りました

知覧に収められている、かの地の若者の遺書を目にするたび 特攻を美化するとか そういう事の時限とは違う 今も変わらない 人間の心の有るべき姿・・そんなものに出会うような・・そんな気がします 

 

こんな風に何も知らない私達ですが 何十年も経った今 こうやってその遺書が多くの人の目にさらされることがいい事なのかどうかはわかりませんが 繋いでいくという意味では このことも意味のあることなのかもしれないと思い 今日 書かせて頂きました

 

この婚約者の智恵子さんが この手紙を受け取ってから60数年後

彼女は穴澤さんの実家を訪れ 彼の軍服と対面します

60数年たっているとは思えない 大切に保管されていたのであろう・・皺ひとつない軍服を手に取り愛おしそうに撫でる・・・

その中に顔を埋めてむせび泣く その姿に 胸が締め付けられます・・・

 

戦争が終わり何十年も経っても 今でも 大切にされている事は

FOR YOU の精神(永松茂久 著)なんだと あらためて思いました

 

70数年前も 今も そしてこれからも

きっと 私たちの心の中にある 誰かを大切に思う気持ち・・

持ったまま あの世に行きたいものだと あらためて思う今日でした

 

大げさな言い方ですが せめてそう思う事が 今を残して下さった彼達への お返しなんじゃないのかなって思いながら 今日を生きてます(>_<)