殴り書きしたメモが乱雑に詰みあがっていくのを「独り言」というエントリーで整理を続けてきた。バカでアスペルガーな俺にはこの作業がよい認知療法にもなった。心の井戸という理論とめぐり合って、怒りと上手に付き合えるようになってからの11年の変遷だ。バカを殴って叱り付けてた勇気が日本からなくなっていく過程。不条理の鼻っ面をへし折る腕力が単なる犯罪だと決め付けられるワケ。子供が悪魔のままで成人を迎える日本にかけられた呪縛とはなにか。そんなおかしな日本を眺める俺の脳内がパンクする前にどうしてもこれを整理したかった。

Iphone誕生のもっと前、コピーのことをゼロックスと呼ぶ横領犯たちがようやくおとなしくなる頃、今度は、能力といえば言い訳くらいの連中でいっぱいになった。日本丸ごとリストラクションを逐次強行するしかなかった。職場は勉強の場ではなくなりあくまでも貨幣の収穫所になっていた。生産者というゾンビ共がその紙っぺらを生み出すためだけに大量の木と金属と石油を無駄にした。これは消費者のためだからとその愚かで無謀な欲望を肯定したのだ。そして天文学的な量の良識がまた塗り替えられた。俺はその社会から隔絶して生きる覚悟を決めた。

結局俺の目測は正しかった。「信じられない、安心できない。」そういう人たちばかりだから砂粒になるのは自然だった。そんな人たちを一箇所に寄せてみたってなにもならない。わがままを聞いて打ち固めてみてもすぐにまたバラバラになる。インターネットが彼らを庇護するかと奮闘はしたが、実はそれを加速させただけだった。ほとんどの人が自分を自由だと形容してみるが、違和感にぶつかって悩んでいる。絶望的に知性が足りないから、苦しさも嬉しさも解ってもらえない。同じ釜の飯を食ったことのない人を安易に親友と思う錯角に陥いるしかなかった。

 

虚しい時間を虚しくないものにするなにかをひたすら開発してきたことを、ひたすらそれを求めてきたこと、ひたすらそれに頼って生きてきたことをいつも忘れてしまう。病的である。もう改められる段階ではない。ロボトミーでも受けさせないとこれは解決しないであろう。自由を奪って教育を徹底させることはもはや難しいのであるし、プロパカンダはウマの耳に念仏となる。よもやこんなことを考えなくてはならないなんて哀しいにも程がある。途上国の治安の悪い日常によく似た未来がすぐそこで出番を待っているということをどうやったら認知してくれるのだろうか。

 

とにかく学問離れした大人はもう相手にしない。画一化の意味ではまったくなく、人々にはもう一度可能な限り広く厚く半ば強制的に教養を与える仕組みが必要である。自発的な変化はもう期待できない。これが結論だ。これからはそれを語っていきたい。論理的な思考が正しく身についた人間に権威を取り戻す他にこの絶望を払拭できる術はないと再認識した。冷徹さやストイックさが求められる時代を創ってしまったのだから、仕方が無い。なにもかもを合理的に整理して、一度真っ二つに仲違いする勇気も必要なのだ。

 

互いが互いを必要とする宣言を、膝を突き合わせてするときを静かに待つ。日本人はそれが得意だったはずだが、もう昔の話なのだろう。とにかく遅い。米国がイラつくのもわかる。強かに先進国の強みだけを真似て耐えてきた国々があるなら、日本の負けだ。勝負に拘るために国家があり外交があるのではないが、これだけ幸福度の低い国であり続ける理由をいよいよ真剣に考えて正直に白状し、だらしのない先輩は嫌いだという意見があるなら真摯に耳を貸さなくてはならない。もしくは老兵の潔さを示してみるもまたよいが。

 

あんまり話すとまた混乱してしまうのでもう終わる。明日も喰えて眠れるのかを考えている者に頭を下げる勇気があるならこのままでもよいのだ。そうすればいつでも十分な食料と水と清潔なリネンが手に入るなら、このままでもいい。しかしそうじゃない。もうそうではない。社会の本当のあり方を考え直すべきときをとっくに過ぎてしまったことに、急いで対処するときなのである。本当に日本が関頭に立っているという危機感を脊髄で感じていただきたいのだ。せめて過半数、間に合わないことのないように願う。終わる。