驚くことに、現日本国憲法が現代の日本でも何ら問題なく機能する
非常に平和でもっともなものだと言う方々がおられる。
まず筆者の意見を述べるが、現憲法は日本の歴史、文化、伝統などを
見事なまでに無視したものであり、どこの国のものなのかがわからない。
世界各国の憲法と見比べてみれば、それは一目瞭然である。
敗戦後、明治憲法を改める考えが無い日本の松本試案に対し連合国側は
日本の無力化を期待できる新憲法の起草を急いだ。
松本試案を支持するものと二分する格好にはなったが
結局は、天皇陛下のご判断により民政局草案が採用されるのである。
国民の自主的起草ではない極めて異質の憲法が誕生するわけだ。
実際のところ、マッカーサーは軍力をもってこの草案を
「日本人が自主的に制定したもの」として強行採決をさせたとされる。
これほどまでにお粗末な憲法を、平衡感覚が優れている日本人は
これまでなんだかんだひたすらに守ってきたのだから驚きである。
これは戦勝国であるアメリカの対日政策が成功したことを同時に意味している。
しかし、このお仕着せ憲法のおかげで日本のアイデンティティーが
失われ続けている事実にもう目をふさいでばかりはいられない。
国家への忠誠や公への奉仕などという教えは、教育基本法には無かった。
そういった教育を受けた団塊が持っている非日本人の血は、
改正もせずにある憲法のおかげでいまだにどこかで受け継がれ続けている。
地球市民だとか国際人だとかの言葉を好むのも左翼の特徴であるが
なにより日本人のくせに日本を知らない場合が多い。
長幼の順序などお構いなし、金儲けや権力のためそれを崩しても良いと言う。
そしてそれが民主主義なのだと言う。
日本を知らずして日本を語る連中に政権を任せるあたりで
日本人がいかに非日本人化しているかが明白になったのだから
嫌でも進むグローバリゼーションの中で、立ち振る舞いに苦悩する日本が
簡単にイメージできて当然なのである。
なぜなら、日本以外の外国は憲法によって国家のアイデンティティーが
しっかりと国民に定着、もしくはそれを考えることをしている。
即ち、○○人としての誇りを決して忘れてはいないと言うことである。
国力とは精神力であるということを、皮肉なことに日本経済衰退で
再び学ぶことになった。
毅然とした誇り高き日本人の精神を取り戻すために
憲法改正は、全日本人が直面している無視できない問題である。