『東京タワー』/リリー・フランキー | らっぱの散歩道

らっぱの散歩道

トランペットを演奏する母親です。
関東で演奏のお仕事していましたが、今はしていません。
のんびり楽しく吹いたりイベント企画しています。

双子のブログはこちら
https://ameblo.jp/twins-925

『東京タワー』/リリー・フランキー(扶桑社)




知り合いのおすすめで、
「貸してほしい」と言ったら、いただいてしまった本。(思い違いでなければ・・・)


偶然にも最近、タイムリーに東京タワーを見た。
50周年記念のライトだそうで。うーん、、、
いつもの明かりが好きだな。




筑豊の田舎くらしのオカンとボクの愛のストーリー、たまにオトンが出てくる。
苦労したオカンの、東京で息子と暮らす姿に胸をうたれる作品。





誰しもいつかは必ず訪れる「死」について考えた。

親・家族・友達・恋人。
大切な人の死、自分の死、余命宣告を受けるってどうなんだろう。


親孝行・・・
絶対し足りない。わたし。

そしてさらにこの先、年老いてひとりになる自分をふと見てしまって
漠然とした不安を感じた。





文章がものすごくうまいとか、じゃないけど
共感のふしや考えさせる文があった。




「五月にある人は言った」

節(せつ)が変わる度に出てくる。

ここがとても良いのだけど
この「五月」と「ある人」についてずっと考えたけど、答えが出なかった。

どうやら同一人物じゃないらしい?



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(p.4)
このからっぽの都ですっくりと背を伸ばし、凛と輝き続けるたたずまいに強さと美しさを感じるのだと思った。・・・その孤独である美しさに心惹かれるのだと思う。

(p.32)
“夫婦にしかわからないことがある”・・・しかし、“夫婦だけがわかっていない、自分たちふたりのこと”子供や他人の方が、涼しい眼で、よく見えているということもある。

(p.200)
自らを戒めることのできない者の持つ、程度の低い自由は、思考と感情を麻痺させて、その者を身体ごと道路脇のドブに導く。

(p.201)
結局、鳥籠の中で、空を飛びたいと憧れ、今いる場所の自由を、限られた自由を最大限に生かしている時こそが、自由である一番の時間であり、意味である。

(p.252)
ひとりで孤独に苛まれながら、不安を携えて生きている時。実は何にも恐れてはいない時なのであり、心、強く生きている時なのである。

(p.253)
自分の死、誰かの死。そこから逆算する人生のカウントダウン・・・

結局は、誰と一緒におるのか、それが大切なことやけん。

(p.321)
どれだけ親孝行をしてあげたとしても、いずれ、きっと後悔するでしょう。
あぁ、あれも、これも、してあげればよかったと。