Color from JAPAPN -36ページ目

オヤジへの思い・・・・・ゴメンな







Louis Armstrong - Hello Dolly Live





真夜中に目が覚めた・・・・・・
オヤジを嫌い、そしてある意味・・・・憎み続けたオヤジ・・・・・・
そのオヤジへの思いの話はまだ完結していない
それを、早く完結させろと俺自身の心の中の何かが
目を覚まさせたに違いない




息子と父親という関係は父親にとって損な役回りなんだそうだ
その関係は2つのタイプがある

1.息子が父親を目標にして、追いつき・・・そして追い越して、
  父親を踏み台にして乗り越えようとするタイプ

2.父親みたいな人間には絶対にならないと、反面教師とするタイプ

その2種類しかないそうだ。



俺の場合はこの2種類のタイプが、混ざっていたような気がする。
デザイナーとして、一流の腕を持ち「先生」と呼ばれたオヤジ
日本のグラフィック・デザイナーの草分けとして、
知っている人は知っている存在だった

・・・・・そんなオヤジ・・・・



反面・・・・・、愛人をつくり、俺たち家族を苦しませた・・・・・
・・・・・そんなオヤジ・・・・・



オヤジの死後1年以上経って、やっと遺影を俺の部屋に置いた
それでもまだ、心のどこかにオヤジを許せない何かがあった、


・・・・しかし・・・・・


たたきつぶされた俺を、立ち上がらせ・・・・
俺がメキシコに旅立てるように、
俺の踏み台になって、ボロボロになって俺を支えたのも事実だ



電話でオヤジの愛人と話し、その存在を確認したからこそ、
俺はオヤジを許せなかったのかもしれない



しかし、その反面、ヤケクソになっていた俺を
自信を持たせ、立ち上がらせようと必死になっていたのも事実だ
俺はその事実に目をつぶって、ただオヤジを憎み続けていた。。。。



立派なオヤジだった
俺の踏み台になって、俺を支え続けた


死んで5年目になるのに・・・・・まだ憎み続けてゴメンな・・・・・
俺の踏み台になってくれていたのに・・・・


生きているうちに、感謝してるよって言わなかったよな・・・・


・・・・ゴメンな・・・・・



ルイ・アームストロング・・・・・・・



いや、オヤジ流に、サッチモと呼ぼう
オヤジの話を書きながら、
ずっとサッチモを聞いていた



・・・・・ありがとう、オヤジ・・・・・
生きているうちに、言えばよかった・・・・・




・・・・ごめんな・・・・・オヤジ・・・・・






これで、オヤジの話を終わりにします。














サッチモとオヤジ・・・・







サッチモとオヤジ・・・・




そして、6年が過ぎた
必死で360万円位貯まった・・・・・


金持ちに言わせれば、屁みたいな端金だろう・・・・
しかし、俺にとっては命懸けで貯めた金だった


その頃、オヤジと俺の事務所では
俺の方が注文も多くなりかけていた頃だった。


「あまり、力をつけるな。お前が旅立つときツライじゃないか」
ある時珍しく、そんなセリフを吐いた・・・・
オヤジが小さく見えた。。。



そんなある時、事務所に電話が来た
馴れ馴れしく俺に語りかけてくる女の声・・・・
俺はピンときた・・・・・・


俺とオヤジの声は、よく似ている・・・・
相手は俺たちの声を間違えていたのだ。


俺:「どちら様ですか?」
相手:「お父さんに聞いてください・・・」
そう言って、相手は電話を切った。
その日、オヤジは出張で7日間帰ってこなかった・・・・・・


オフクロも、そしてオヤジもあまり好きではなかった。
オヤジの愛人と話して、それを騒いで何だというのだ・・・・
そう思っていた。
オヤジに愛人がいることを、オフクロはずっと前から知っている。
それでも、添い遂げようとしている、
俺がそれを暴いて、なんの意味があるのか?




出発のとき成田まで二人は見送りに来た。
搭乗ゲートを通って行くときに、
ルイ・アームストロングの歌が頭の中に流れた。
二人への思いと、俺自身に起こるこれからの未来に、
涙があふれた。。。。




オヤジは彼をサッチモと呼ぶ。
その呼び名の由来は諸説あるらしいが
高校の頃、軍隊的なラッパ係吹かされていたらしい。
ラッパの音が好きだったオヤジは
終戦直後に占領軍としてやって来た
アメリカ軍の兵隊が聞いていたトランペット・ジャズに
すぐに魅了されたらしい。




そして、サッチモに出会った
ラッパの音に聞き惚れていたら・・・・・
急にガマガエルのようなしわがれた声が聞こえた。
美声じゃない、とにかくひどい声だと思った。
しかし聞いているうちに、
そのヒキガエルの声は、
とても魅力ある声に聞こえ始めた・・・・・



オヤジの臨終は俺一人だけが間に合った。
・・・・と言うよりは、
俺が看病しているときに、息を引き取ったといったほうが正しい。。。



最後まで苦しそうに息をしていた。
肺炎だった。
酸素吸入のマスクのしたで、
『家に帰りたい、助けてくれ』
何度もそう言った・・・・・・


『治ったら連れていってやるよ、だから早く治せ』
高齢でアルツハイマー気味になっている上に
更に、肺炎で酸素が脳に行っていないオヤジの頭、
俺のその嘘が通じていたのかどうか????



俺はオヤジが大嫌いだった










Magica bula (Cenerentola) - Luis Armstrong






Magica bula (Cenerentola) - Luis Armstrong





オヤジは俺にデザインを教え始めた。
簡単な仕事ではなかった。
こむずかしく、面倒だった。


始めて1ヶ月後、入金があった
初めて稼いだ金額は66960円
大学生の初任給が20-22万の時代だ。


悔しかった・・・・・
這い上がりたかった。


いつか俺は海外脱出を目指した。
日本に居続ける理由はない。
日本の社会が俺を必要とはしていない。
ここには俺のチャンスもないと感じた。


日本にいていじけ続けると、何がどうなるか?
広い世界に飛びだして
世の中を知ろう。


別の価値観があるかもしれない。
別の美意識があり、別の常識があり、
別の人生がある・・・・・・・・



早く小さく固ろうとするな、
固まるのは後でいいんだ、大きく広がるように生きろ!


これは、そのころ俺のオヤジが俺によく行った言葉だ。


金を貯めて、語学を身につけようと考えた
無駄な金は一切使わないようにと決めた。
タバコと酒をやめた。
タバコは一日に60本吸っていたが、ピタリとやめた。
酒も完全にやめた。
服はボロボロになるまで着る。

髪の毛は半年に一度切ればいい。

死んだ気になれば俺に楽しみのために金を使う理由はない、

女の子とデートすると、日本にいたくなる。
そこで、いっさい女の子に近づかないようにした。
もっとも、これは簡単だった。
もともと不細工な俺が、髪も切らず服も買わないので、
近づく女などいるわけがなかった。



その頃、ある写真家の言った言葉と出会った。


酒やタバコで自分をごまかすな、感覚を鈍らせるな。
酒代でフィルムを買って写真を撮れ!
たばこ代で原稿用紙を買って、何か小説を書け!
パチンコ代で紙と絵の具を買って、絵を描け!


視野の狭い日本
価値感の貧弱な日本、そんなところにかじりついてどうする・・・
英会話の出来ない英語教師に、受験英語を習って何になる。


広い世界に飛び出せ!



英語は凄い武器になる、英語を身につけよう。
英語を覚えたやつが落ちる罠・・・・・


英語が絶対的な共通言語になってしまうという勘違い
英語を覚えて使うのは良い・・・・しかし・・・・


ほかの言語も身に付けろ・・・・・
英語を嫌う民族と話をできるようにする・・・・



そんな時に、数年前にみたメキシコの画家
ルフィーノ・タマヨを思い出した
あんな絵を描きたい。
色彩が飛び散り、踊り、駆け回る


ルールなんかないんだ・・・・
何をやってもいいんだ
描きたいものを
描きたい色で
描きたい形で


思い切りはじけて、それこそ自由奔放に
絵の具をカンバスに叩きつける
そんな、ルフィーノ・タマヨの絵画が目標になった。


目的地はメキシコだ!


あの色彩で俺も自由に描が書きたい!
そう思った・・・・・



続く