かごめの一人芝居 -4ページ目

かごめの一人芝居

あの頃の青を探して。

「冬は、春を連れてくるんだよ。」

北国の人々は、こういった言葉を言い伝えて、長く厳しい冬を過ごしています。

しかし今年の冬は異例の暖冬ぶりで、積雪も年明けからやっとのこと。
短く集中的だった冬ももうすぐ明けて、春へと向かうのです。

春の訪れは、新年度、新学期のスタート。
我ら社会人にも、春の訪れは刻々と迫っているのです。

そう思えば、山形への異動の知らせを貰ったのが、ちょうど1年前の今日。
自動車を買ったり、生活用品を揃えたり、役所へ手続きに出向いたり、慌ただしい1ヶ月でした。

そんな日から1年、今年もまたこの季節が来たみたいです。
それで頂いた知らせが、来年度の人員の配置替え。
今所属している班はそのままだけど、担当の業務が変わる模様でした。

その業務は、大阪にはない機械を扱うし、大阪にない仕事だし、山形に来たからこの勉強ができる強みがあり。
1年間やってきて、次は新しいスキルを身につけるんだと。

「だってね、君も早く大阪に帰りたいでしょ?」

そこは素直に「はい、そうです。」とは言えなかった。
同時に、今自分の置かれている身を改めて気づかされたのでした。

期間の設けられていない、ここでの仕事。
最初は大阪との仕事のやり方の違いに戸惑う毎日でしたが、慣れるにつれてやりやすさを見いだしたりしてました。

「山形を好きになって、できれば長くいてほしいけど、いつかはね…」

今年の春かもしれないし、来年の春かもしれない。はたまた、5年以上もお世話になるのかも。
いつかは大阪に戻るのだろう。
転勤族の宿命ともいえる通達に、どうももどかしさを覚えるのです。

よく人から行動力について驚かれますが、こういった一抹の不安を持っているからかも。
しなかった後悔はなるべくしたくない、1日1日を楽しくしたい、いつも心得ていることです。
山形にいる1日1日が大切なものだと思うのです。

大阪から旅立った春からもうすぐ1年。
原点回帰だった社会人3年目。
4年目は新境地といったところでしょうか。


2016.2.7 Sun.

この日は前日よりどこに出かけるか、悩みに悩んでおりました。
庄内の鶴岡・酒田へ行くのか、郡山を経由して会津、そして新潟へと抜けてみるのか、米坂線の初乗車を兼ねて、米坂線経由で新潟へと向かうのか。
前日には決まらず、その日はそのまま寝てしまい、結果的には予定していた起床時刻を寝過ごし、全くの白紙状態に。
白紙から出てきたのは、「小さな旅ホリデー・パス」でした。


南東北エリアが乗り放題で、2,670円というお得なきっぷ。
何となくの気分で、エリア最東端となる、気仙沼へと向かうのでした。



山形から気仙沼まで、仙山線、東北本線、気仙沼線と乗り継いで、片道6時間弱。
山形県の隣の宮城県とはいっても、北東端に位置する気仙沼市。かなりの距離がありました。

リアス式海岸で有名な三陸海岸の南部に位置する気仙沼市。
港町とあって、やはり到着して海の幸を頂きました。
おすすめメニューの「港町丼」
海を眺められる店内と、贅沢な海鮮丼。至福の時間。




そして気仙沼「海の市」へ。
全国有数のふかひれの産地である気仙沼市。
中にはシャークミュージアムもあり、サメの生態などを展示した博物館でした。
意外とサメは人間を最も怖がっているようで、普段知り得ないサメを知れて面白かったです。


さて、こうして街が元気な姿を見せていますが、まだあの日のことは忘れられる様子ではありません。

先ほどのシャークミュージアムでは、サメの博物館の機能はそのままに、震災を後世に伝える、記録していく、そんな機能も追加されて、2014年春にリニューアルしたそうです。
津波被害を受けてもなお、漁師の方々は海が好きだから、そんな思いでここ気仙沼に残ることを決めたそうです。


この道中で利用した、気仙沼線もまだまだ。
路線の約7割にあたる、柳津~気仙沼間は鉄路が未だに復旧しておらず、BRTによる仮復旧が行われています。

柳津駅の気仙沼方の線路は雑草が見え隠れしています。


一見、ただの路線バスのようにも見えますが、BRTが運行する道路の一部は、津波被害の少なかった線路跡をアスファルト舗装し、BRT専用道として運行したり、バスの駅やバス専用信号機、ゲートがあったりと、真新しい設備がたくさん。


新たな設備は復興のイメージとして最適ですが、国道45号を中心として一般道を走行している所の車窓を見ると、まだまだ遠い復興を覗かせていました。

特に南三陸町の志津川地区かなぁ。コンビニがプレハブ建ての仮店舗で営業していたり、更地になってしまった土地には、ショベルカーと積み上げられた土台。

歌津駅や陸前階上駅は駅舎やホームが未だに現存していて、遠い将来であろう鉄路復活を望んでいるようにもとれました。


気仙沼からの帰りのBRTには、地元の高校生の乗車もありました。
高校生の会話によって賑やかになった車内、列車からバスに変わった今でも、彼ら彼女らの話題は尽きないようで少しほっこりしました。



そんな気仙沼線ですが、最近になって沿線自治体がBRTによる仮復旧を本復旧として受入する動きが出てきました。
鉄道としての復旧費用の負担は復興予算としては莫大なようで、自治体はルート変更の400億円の負担をJR東日本から求められていますが、予算が出ないのが実情。
現時点でのBRT仮復旧を永久的な復旧として容認する動きがありました。

気仙沼駅を出れば、大船渡線とアスファルト舗装された気仙沼線BRT専用道。
線路が並走することはもうないのでしょう。


皮肉にも鉄道時代よりも運行本数が2~3倍に大幅に増便されて、BRT化によって格段に便利になった気仙沼線。
気仙沼~盛間がBRT化された大船渡線も同様に格段に便利になったそうです。

鉄路を失った街、南三陸町、気仙沼市、そして大船渡線沿線の陸前高田市。
もうすぐ東日本大震災から5年。
6年目に向けて、新たな決断をした各都市をこれからも追っていきたいと思った、そんな一日でした。