阿弖流為と母礼の1215回忌 | ラピ☆のブログ

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阿弖流為、母礼の命日(今年は9月13日が旧暦8月13日)を迎えるにあたりその最期を遂げた縁の地そして、坂上田村麻呂の墓所を彼ら郷土の先人の「志」に思いを馳せつつ訪ねました。

延暦21年(802年)4月15日、朝廷軍との長引く戦乱に疲弊したエミシの民を憂いて、その族長阿弖流為(アテルイ)は母礼(モレ)と500余人を従えて胆沢城で降伏。
その年の7月10日、征夷大将軍坂上田村麻呂は阿弖流為と母礼と伴に都に到着するも朝廷よりエミシへの許しを得ることはありませんでした。
そして坂上田村麻呂による助命の嘆願も虚しく
8月13日、阿弖流為と母礼は河内の国(現在の大阪府)にて処刑された…
今から1214年前のこと


早朝の清水寺  阿弖流為・母礼の碑


阿弖流為と母礼の塚、二人はこの地で処刑されたと伝えられる
大阪府枚方市、牧野公園


牧野公園は京阪本線の牧野駅より徒歩10分くらい、片埜神社に隣接




地元の方々により大切に守られてきた首塚


片埜神社境内に鬼片埜神社では節分の豆まきに「鬼は~内」ととなえるらしい。。



坂上田村麻呂はその9年後の弘仁2年(811年)5月23日、54歳で没しています。


坂上田村麻呂の墓所  京都市山科区




墓所は坂上田村麻呂公園として整備させています。
京都市営地下鉄東西線 椥辻(なぎつじ)駅より東へ徒歩10分くらい、勧修小学校の北側に隣接



胆沢から都までおよそ1000㎞の道程、徒歩なら有に二月は要したことでしょう。
その道中、星空を眺め焚き火を見つめ三人で語り合うことがあったとしたなら、それは新たなる国造りへの夢かそれとも…

今回の旅は事前に計画していたものではありませんでした。
突然京都へ行きたいという思いに駈られ往きの車中で思い立った目的地…何か不思議な力を感じました。


京都東山の頂にある将軍塚

平安京が造られたときに都の守り神として武装した姿の高さ八尺の将軍の土像が埋められたと伝えられる。
都に一大事が起こると鳴動するという


この日の歩数、32000歩!

おみやげに沢山のpowerを授けて頂きました☆

後日の記事 木の葉一枚、千キロの旅  につづく