・ジャッジはいけないという嘘
この記事は少し前のメルマガを加筆して書いています。
この記事は少し前のメルマガを加筆して書いています。
先月は芸能ニュースで持ち切りでしたね。
ネットニュースを見ても、Facebookでも
あちこちに色々書いてあったので
全然興味のない私でも目にしました。
その殆どの記事が、
「どっちが悪い!」というジャッジ。
日が経つにつれ、様々なことが表に出て
ヒートアップしていく感じ。
良い・悪いという判断は、
一般常識という視点と自分の物差しで出来ています。
なので人によって微妙に基準が違ってくる。
精神世界では、
ジャッジすることはいけないことのように言われます。
人によって違う判断基準は
何が正しくて、何が悪いかを決めることは出来ない。
自分から見る視点と、相手からの視点、
互いの受け取り方でも変わってくる。
だからジャッジせずにいましょう!ってね。
実はコレ、落とし穴なんです。
ジャッジせずにいましょうって知ると、
ジャッジした自分を責めてしまう。
・・・その責めが既にジャッジ。
そして罪悪感を創りだす。
で、罪悪感を手放せないと感じる。
・・・手放せないって自分を責めるのもジャッジ。
いつ終わるの?(笑)
人は死の寸前までジャッジし続けるの。
自分はもう死ぬのか、まだ生きるのかって。
だからジャッジしないなんて不可能。
どの学校に進学したいか、
何処の企業に就職したいか、
恋人と結婚するのかしないのか、
家を買うのか
老後はどうするのか、
生きててジャッジしないことを選択したら
何も出来なくなるんです。
闇があるから光が解るように、
何かがあるから、別の何かの善し悪しが解るし
その判断と選択によって
自分の人生って方向づけられていく。
ジャッジはいけないのではなく、
その判断基準が問題。
基準となるもの、自分の心の中が
愛が基準になっているか?ということ。
自分が愛の目線で物事を見ていれば
ジャッジする時も「良い・悪い」の判断ではなくなります。
愛の目線って、ただあるものをあるがままに
起こった事実を、感情を足さずに見るってこと。
そうすれば
「どっちが悪い!」の目線ではなくなってくる。
善し悪しの判断ではなく
なにをするかとか、どうあるかを考えるようになってくる。
善し悪しの判断ではなく
なにをするかとか、どうあるかを考えるようになってくる。
だから対立も無くなっていくのです。
ジャッジすることのループに入っている方は、
目線を少し変えて抜け出してくださいね。
読むだけで制限を外す気づきが起こる無料メルマガ
制限を外して自由にはばたく!【変容錬金術】の申し込みはこちら
※PCアドレス、Gmail、Yahooメールなどのアドレスで登録お願いします。
目線を少し変えて抜け出してくださいね。
読むだけで制限を外す気づきが起こる無料メルマガ
制限を外して自由にはばたく!【変容錬金術】の申し込みはこちら
※PCアドレス、Gmail、Yahooメールなどのアドレスで登録お願いします。
