日本人の多くが持っていると言われる『清貧の誓い』。
清く貧しくあるという誓いです。
大抵は過去世でこの誓いを立てたのが今に影響されてると言って
ヒプノセラピーや過去世遂行などで
「~が叶うなら全てを捧げます」と祈ったり誓ったりしたことを
問題にしては、解除したの手放したのって言いますよね。
それ、本当に手放せて自分が豊かになってますか?
そもそも、それだけ多くの人がそんな誓い立ててるって思いますか?
今、実際に豊かでお金もあって幸せな人で
そういうセッション受けてない人って沢山いるでしょう。
そんな人は「持ってないから」って別格視するのでしょうか。
『清貧思想』というのがあります。
清く貧しく生きるのが当たり前で、
「お金があると人の心は汚くなる」「お金は悪だ」みたいなね。
これは人の妬みから生じた歪んだ思想です。
清貧=困窮・貧乏・耐乏と勘違いしてると思いますが
本来の意味は『心豊かに暮らし、金品などに執着しない生き方をすること』です。
これは、ブッダもイエスも伝えています。
また、孔子や老子なども清貧の思想を持っていますが
それらも、ブッダやイエスと同じ意味合いです。
こういった宗教的なものが日本に渡ってくる過程で
言葉や解釈のずれが生じたり、簡単に学問や宗教を学べない時代背景などから
正しく伝わらなかったのだと思います。
また日本は古来から農耕民族、
年貢徴収の苦しみを体験してる人が殆どで、
そういった記憶や感情ってDNAに残っています。
これが日本人に「清貧の誓い」が多い理由じゃないでしょうか?
過去世ばかり追っかけても、取れない理由の一つじゃないかなと。
私たちの意識の中に最初から組み込まれた清貧思想自体が
間違った思想であれば、何をやってもイタチゴッコです。
聖書の中に
『主は正義と公平とを愛される。地は主の慈しみで満ちている。』
という行があります。
地はもちろん地上のこと。
主は神、創造主です。
では創造主の慈しみとはなんでしょう?
それは完全なる豊かさです。
様々な愛情、豊かな環境、平安それら全てにおいて満たしてくれているのです。
ブッダの時代もイエスの時代もお金はあります。
どちらもが「お金は悪いもの・汚いもの」と言ってません。
人の弱みに付け込んだ商売をしたり、
騙したり奪い取ったり、分け与えなかったり
そういう醜い心のことを「悪いもの・汚いもの」と言っただけです。
だからそういう心で金儲けをすることを禁じたのです。
豊かな環境、つまりお金も含めて満たしてくれているのに
受け取っていないのは、
刷りこまれている間違った清貧思想にも原因はあると思います。
先ず自分が豊かでなければ、満たされてなければ
分け与えることは出来ませんよね。
だからちゃんと受け取ってもいいのです。
清らかな心であれば、お金を手にしてもいいのですよ。
受け取る許可を自分に与えてください。
受け取る許可が出来たものから、自分に豊かさとして送られてきます。