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内宮を出ると、雨も小雨なのでおはらい町を歩きながら猿田彦神社へ向かいます。
いつもは賑わうこのあたり、まだ店は開いておらず
雨のせいもあって人が殆どいませんでした。

過去数回、午前8時ごろに内宮へ到着したにも関わらず
駐車場がいっぱいで午後からしか入れなかった私には
この時間(午前7時半くらい)で御参りをすませ、
ここを歩くことが出来るのは初めての体験でした。




置物かと思うくらいじっとしていた猫ちゃん。
おはらい町の入り口のお店の前で眠っているのか?
この他にも2匹の三毛猫ちゃんが対になって寝ていました。





雨の中、ひっそりとしたおはらい町。

おはらい町は、江戸時代の参宮客を館でお祓いや神楽でもてなしたことから
この名前がついたそうです

今は古い町並みのように統一されて、コンビニもそれらしい外観ですが
一時期の近代化した建物の頃は、人気が薄くなり観光客も減少したとか。
それを立て直したのが、こちらのお店。



伊勢名物「赤福」の本店。
伊勢特有の街並みを再現することからはじめ、本格的に伊勢市も動きだし今の街並みが再現されたようです。
流石、創業1707年の老舗ですね。



おかげ横町は赤福本店の前。
「おかげ参り」と「商いを続けてこられたのは伊勢神宮のおかげ」という
2つの意味を込めて「おかげ横丁」と名付けたそうです。
このおかげ横丁も赤福さんが作られた町並みなのですよ。


ここまで歩いておきながら、結局元来た道を戻り
猿田彦神社には車で行くことに。


(画像は猿田彦神社HPよりお借りしました)

今丁度、造営工事の真っ最中であったので、
お参りは出来るのですが社の写真がありません。

猿田彦神社は、過去数回伊勢神宮に参拝しつつも
初めて行かせて頂きました。

猿田彦大神は「みちひらき」の神様。
天孫降臨の際に、高千穂に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を御案内した神様です。
そして妻の天宇受賣命(あめのうずめのみこと)と共に、
伊勢の地から全国へと開拓を進めた神様でもあるため
道案内や開拓をした功績が、物事の始まりに繋がり
『みちひらき』の神となったそうです。





こちらは拝殿正面にある『方位石』。
昔の神殿跡の位置にあります。
この方位石には干支が書かれているのですが、
自分の干支の位置を触るといいらしいですよ。

願いをこめてお賽銭を置く方が沢山いらっしゃいます。
もちろん、私も置かせて頂きました。




こちらは境内にある『たから石』。
宝船の形に似ているからそう呼ばれるらしいのですが
良く見ると蛇が乗っているようにも見えるので
縁起が良いと言われています。





確かに、蛇の顔のように見えますね。



そしてもう一つの大きな石は『さざれ石』。
君が代にも出てくる「さざれ石」はこの石のことだそう。
年を重ねることで成長し、やがて大きな石となるという
縁起ものの石です。

人の成長も子供から大人へ、同じですね。



そしてこちらが「佐留女神社(さるめじんじゃ)」
猿田彦大神の妻、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)が祀られています。
天宇受賣命(あめのうずめのみこと)は、
天照大御神を岩戸から出すために神楽を舞った逸話を持つことから
芸能の神とされています。


芸能の神と言えば有名なのが弁財天。
奈良県・天河村にある『天河弁財天神社』の五十鈴は、
この天宇受賣命(あめのうずめのみこと)が岩戸の前で舞った時に
使った神代鈴と同様のものだと言われています。



だからでしょうか、境内の社務所には五十鈴が置いてありました。
ただ、天河弁財天のものは玉が3つなのに
こちらの五十鈴は5つの玉がついています。
二つ多いのは・・どうしてなのでしょうね。

更に今回御参りして、気がついたのですが
造営工事の為か、猿田彦大神のご神殿からパワーが感じられませんでした。
工事の喧しさに、別の場所に移動されている?
これは昨年熊野大社に行った時も同じ感じがしたのです。
熊野大社も水害からの建て替え中だったのですが
お社の中が空っぽな感じがしていました。

こういう時、神様がどこにいらっしゃるのか気になるものです。


旅は月読宮へと続きます。




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