人は誰かに愛されたいと願います。

自分を必要としてくれる人を求め、
「あなたが必要だ」と言ってくれる人を愛します。

それはパートナーだったり、子供だったりと、自分を必要としてくれる対象によって相手が変わっていきます。

必要としてくれる人の為に、一生を生きる人もいます。

誰かが自分を必要としてくれている事が生甲斐になって
その人の為に生きなければいけない感覚に陥ったりもします。


だけどもし・・・誰も自分を必要としなかったらどうでしょう。

男女の別れ際に「あの人はもう必要ない」って思うことってよくある話ですね。

自分がそんなことを言われたら生きる意味をなくし、
存在意義が無くなったように感じるのはないでしょうか。
誰にも必要とされていない自分を想像してみてください。

誰かの為に生きて、本当に自分の人生と言えますか?

誰かの必要に応じて生きてて、自分の人生はどこにあるのでしょう?

自分の人生とは一体何でしょうか。


それは他者の為に生きることではありません。
「人の為」と書いて「偽り」です。
他者の為に生きる人生は、偽りの人生なのです。


自分の人生なのですから、自分の為に生きるのが正解ですね。

誰かから必要とされることに心を捉われてしまうと、自分の人生は生きられません。

自分自身で生き、喜びを感じ、満たされる人。
それを「単独者」といいます。


誰かから必要とされることを求めずに、生きていく人です。

Crystal breath

           ジャノメエリカの花言葉は「孤独」
Crystal breath


人は一人になると孤独を感じます。
そして人を求めてしまいます。

だけど大勢の中では、独りになりたいと願います。
緊張した心の状態から解放されたいと思うのです。

「一人」と「独り」は全く違います。

一人は悲しみを生みますが、独りは自由で安らぎがあります。

誰かが居ては、心の自由は得られないのです。
つまり、自己探求は独りではないと出来ないのです。

ブッダは悟りを得る為に家族を捨てて旅立ちました。
家族がいては独りにはなれなかったのですね。
必要とされ続け、自らも必要としてしまうことを解っていたのでしょう。

だからブッダの言葉には、

仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、
つねにひとに呼びかけられる。
他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。


という行があります。

パートナーは必要ないと言ってるのではありませんよ。
確かにパートナーがいれば、難しい面はあります。
その中で、心を独りにする時を設けることが必要なのです。

独りあることは、単に完結している事を意味する。
あなたは全体だ。あなたを完結させる為に、他の誰かを必要としない。
だから、あなたの最も内なる中心を見つけてごらん。
そこでは、あなたはいつもひとりだし、いつもひとりだった。
生において、死において……あなたが何処に居ようとも……
あなたはひとりだろう。

でもそれは満ちている! それは空っぽではない。
それは、生の精髄の全てと、存在の美しさと祝福の全てで、
余りにも一杯で、余りにも完結し、余りにも溢れ出している。
だから、もしあなたが一度でも自分のアロンネスを味わったら、
ハートの中の痛みは消えるだろう。
そのかわり、途方もない甘さと、平和と、喜びと、至福が、
そこにあるだろう。


~OSHO~

魂の成長の到達点は、全ての制限を外し絶対的な自由を得ることで
創造主と一つになることです。

それは自分の内側の「愛の源泉」と一つになること。

私達は創造主から分離した意識です。
単独者になることで、分離した意識を統合出来るのです。

単独者となり、心の自由を得れば、自分自身への信頼と愛が生まれます。

そこで初めて、自分を必要とされずに自分から愛を与えることも出来るのです。
無条件に愛を与えることが出来るようになるのです。




ご覧いただきありがとうございます音譜



クラッカーあなたのハートに愛と光をクラッカー