本来の愛の形は、喜びと祝福と自由があるものです。
相手を束縛したり、所有化したり見返りを求めるものではなく
相手の全てを受け入れ、認め、赦し、互いに喜びに満ちているものです。
例えばそれが別れることになっても、それは新しい創造の始まりなのですから
そこには祝福があるはずなのです。
今で言う不倫は悪い事だと言われますね。
でも太古の昔は、何人ものパートナーがいても悪い事ではありません。
その違いはなんでしょう。
相手を独占したい心が芽生えたり、
どうすることも出来ない思いに苦しんだり
別のパートナーへ苦しみを与えたり
(アブラムの二人の妻の関係ですね)
肉体的欲求だけを求めていたり、
精神的な穴(心の寂しさ)だけを埋める為だったら
本来の愛とはかけ離れています。
そしてそういった感情や行動は、神の倫理には当てはまりません。
これは特定のパートナー以外との関係だけではありません。
婚姻した関係であっても同じです。
所有欲・独占欲・見返り・束縛……
無条件に愛せてなければ同じなのです。
だから過去世に結婚していた者同士であってもカルマが残るのです。
人を愛するという行為は、美しく素晴らしいものです。
そこには神の祝福が宿ります。
そして人は、互いに自由です。
束縛も拘束もなく生を自由に創造出来ます。
それを『倫理にあらず』の行為にしてしまうのは
人間の欲とエゴが浮上するからなのです。
ストックの花言葉は「愛の結合」
あなたが(相手に)しがみつけばつくほど、関係は醜くなる。
最初に喜びが失せ、あらゆる魅力が失せ、あらゆる磁力が失せ、
そして病気に、病的になり始める。
私がある関係を病的と見なすのは、あなたがしがみつく為だけにしがみつき、
他にしがみつくものが何もない時だ。
あなたは失うのを怖がり、変化するのを怖がり、
新しい関係に移って行くのを怖がって、しがみついているだけだ。
――だがマインドは、条件づけを通して機能する。
何千年もの間、ひとりの人に誠実であるべきだと考えられて来た。
私はあなた方に、全く違うことを教えている。
私はあなた方に教えている・・・人にではなく、愛に誠実でありなさい。
愛に誠実でありなさい。
決して、愛に背いてはいけない。それだけだ。
もし時々、人が変えられなければならないのだったら、変えられなければならない。
だが、決して愛に背いてはいけない。
古い伝統というのは、愛には背いても、決して人に背いてはいけない、
ひとりの人にしがみつけということだ。
そして物事が、何千年もそこに在り続けると、それはあなたの血や骨の一部、
髄の一部になり、あなたは無意識に機能し始める。
いつの時代もあなた方は、人に誠実であり続けるよう教えられて来たが、
それにはあまり高い価値はない。
より高い価値は、愛に誠実であり続けることだ。
もしそれが、ひとりの人と起こっているのなら、全く素晴らしい。
私は「変えなさい」とは言っていない・・・どこに変える意味がある?
もしそれが、その人と起こっていないのなら、どこか他でそれを起こさせなさい。
~OSHO~
人は本来の愛の形を思い出す必要があります。
高い次元から相手を愛し、その全てを受け入れる喜びに包まれた愛。
愛した誰かが別の誰かを愛しても、その全てを受け入れ赦し祝福する出来る愛。
現代の不倫事情やエゴや執着から起こる愛を「愛」と勘違いしてはいけません。
それは愛ではなく、神の「倫理にあらず」なのです。
愛に誠実になれない時、どこかでそれを起こさせなさいとOSHOは言ってますね。
欲や執着を解き放ち、愛に誠実であることを起こさせなさいと。
神の倫理で人を愛せるようになることは、
この世界から憎しみや悲しみや苦しみを取り除きます。
自分の愛の器をもっと広げていきましょう。
愛する人を全て受け入れて、喜びと祝福で満たされてくださいね。
ご覧いただきありがとうございます
あなたのハートに愛と光を
相手を束縛したり、所有化したり見返りを求めるものではなく
相手の全てを受け入れ、認め、赦し、互いに喜びに満ちているものです。
例えばそれが別れることになっても、それは新しい創造の始まりなのですから
そこには祝福があるはずなのです。
今で言う不倫は悪い事だと言われますね。
でも太古の昔は、何人ものパートナーがいても悪い事ではありません。
その違いはなんでしょう。
相手を独占したい心が芽生えたり、
どうすることも出来ない思いに苦しんだり
別のパートナーへ苦しみを与えたり
(アブラムの二人の妻の関係ですね)
肉体的欲求だけを求めていたり、
精神的な穴(心の寂しさ)だけを埋める為だったら
本来の愛とはかけ離れています。
そしてそういった感情や行動は、神の倫理には当てはまりません。
これは特定のパートナー以外との関係だけではありません。
婚姻した関係であっても同じです。
所有欲・独占欲・見返り・束縛……
無条件に愛せてなければ同じなのです。
だから過去世に結婚していた者同士であってもカルマが残るのです。
人を愛するという行為は、美しく素晴らしいものです。
そこには神の祝福が宿ります。
そして人は、互いに自由です。
束縛も拘束もなく生を自由に創造出来ます。
それを『倫理にあらず』の行為にしてしまうのは
人間の欲とエゴが浮上するからなのです。
ストックの花言葉は「愛の結合」
あなたが(相手に)しがみつけばつくほど、関係は醜くなる。
最初に喜びが失せ、あらゆる魅力が失せ、あらゆる磁力が失せ、
そして病気に、病的になり始める。
私がある関係を病的と見なすのは、あなたがしがみつく為だけにしがみつき、
他にしがみつくものが何もない時だ。
あなたは失うのを怖がり、変化するのを怖がり、
新しい関係に移って行くのを怖がって、しがみついているだけだ。
――だがマインドは、条件づけを通して機能する。
何千年もの間、ひとりの人に誠実であるべきだと考えられて来た。
私はあなた方に、全く違うことを教えている。
私はあなた方に教えている・・・人にではなく、愛に誠実でありなさい。
愛に誠実でありなさい。
決して、愛に背いてはいけない。それだけだ。
もし時々、人が変えられなければならないのだったら、変えられなければならない。
だが、決して愛に背いてはいけない。
古い伝統というのは、愛には背いても、決して人に背いてはいけない、
ひとりの人にしがみつけということだ。
そして物事が、何千年もそこに在り続けると、それはあなたの血や骨の一部、
髄の一部になり、あなたは無意識に機能し始める。
いつの時代もあなた方は、人に誠実であり続けるよう教えられて来たが、
それにはあまり高い価値はない。
より高い価値は、愛に誠実であり続けることだ。
もしそれが、ひとりの人と起こっているのなら、全く素晴らしい。
私は「変えなさい」とは言っていない・・・どこに変える意味がある?
もしそれが、その人と起こっていないのなら、どこか他でそれを起こさせなさい。
~OSHO~
人は本来の愛の形を思い出す必要があります。
高い次元から相手を愛し、その全てを受け入れる喜びに包まれた愛。
愛した誰かが別の誰かを愛しても、その全てを受け入れ赦し祝福する出来る愛。
現代の不倫事情やエゴや執着から起こる愛を「愛」と勘違いしてはいけません。
それは愛ではなく、神の「倫理にあらず」なのです。
愛に誠実になれない時、どこかでそれを起こさせなさいとOSHOは言ってますね。
欲や執着を解き放ち、愛に誠実であることを起こさせなさいと。
神の倫理で人を愛せるようになることは、
この世界から憎しみや悲しみや苦しみを取り除きます。
自分の愛の器をもっと広げていきましょう。
愛する人を全て受け入れて、喜びと祝福で満たされてくださいね。
ご覧いただきありがとうございます

あなたのハートに愛と光を

