不条理なことや理不尽なことが起きたり、
どうやっても変わらない現実が目の前にある時
人は大抵「諦める」という心情になりますね。

自分ではどうすることも出来ないから、その事態を諦める。
こういうとき夢や希望などもそっくり捨ててしまったりします。

「諦める」とは怒りの感情の一つで、
何かを諦めようとするとき怒りを使ってその欲求を抑え込もうとします。
希望や見込みがないと思ってやめたり、断念することですね。


「諦」という字の元の意味は「明らかにすること」です。

諦めるとは、仏教用語の「諦観」からきており、
「諦めて観る」が今ではすっかり言葉も意味も変化して「あきらめる」になったのです。

ではこの「諦めて観る」とはどういうことでしょう。

「諦観」とは本質をはっきりと見極めることです。

本質、すなわち宇宙の真理のこと。
全ての結果には必ず原因があり、原因なしに起こる結果はないということをしっかりと見極めるのです。


Crystal breath

             ノラナの花言葉は「揺れる心」
Crystal breath


不条理だったり理不尽な事、
また他者から与えれた(ように見える)出来ごとは
その状況をあるがままに見ようとしても中々見れませんね。

どうしてもその状況は自分が巻いた種とは思えないからです。

ですが、その状況を選択した、
つまりは創造したのは元を正せば自分なのです。

悲嘆に暮れているのなら、その感情にのまれるかどうか、
それまでの自分の在り方が問題だったのです。


天災などに遭遇した場合、
状況や環境は自分ではどうすることも出来ない場合もありますが、
その状況を受け入れ見極め、自分の在り方を変えることは可能です。
それが本質をはっきりと見極めるということなのですね。


心の底で、「私はあきらめる」と言いなさい。
すると沈黙が降りてくる。祝福が降り注ぐ。


~OSHO~

その状況を受け入れ諦めて観ることが出来れば、
エゴや怒りの感情は静まります。
するともっと正確に今の現状を観ることができ、
そこから自分の在り方を変化させることが可能になります。
その「変化」がOSHOのいう祝福なのです。


諦めて、今の現実から目を逸らし断念してしまいますか?

それとも、諦めて観ることで新しい人生の選択を選びますか?

今の現実や状況を変えたいのなら、その現状を明らかにすることです。
そこには向き合う事への痛みもありますが、必ず祝福は訪れるのです。




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