自分の周りは、自分の心が創り出した世界ですね。
そして自分が出会う人は、自分を映し出す鏡です。

好感の持てる人もいれば、持てない人もいると思います。

自分を映し出す鏡なのに、どうしてそういう感情が起るのでしょう?

好感のもてる人というのは、自分の内側にある神性な部分を感じています。
逆に、不快感を感じる人やどうしても好きになれない、打ち解けられない人というのは自分の中にあるまだ自分でも気づいてないネガティブな部分を映し出しています。


そういうと大抵「自分には(苦手な人の)そういう部分はない」と反発されます。
その時点で、自分の中にある隠し持っている部分を受け入れない拒否体制に入っています。

自分にないものはこの世界に反映はされません。
ですから、苦手な人の持つ部分と言うのは、
必ず自分の何処かに「在る」のです。


そういった部分は、受け入れることが大変難しい部分です。
拒否してるのだから探すのも難しく、受け入れ許すことは非常に困難です。
真っ向から立ち向かい、向き合うには勇気がいるところでもあります。

自分の神性な部分を見せてくれる人に、人は惹きつけられます。
魅せられてしまうのです。

私達はこの世界で闇の中から光を見つけること、すなわち魂を向上させることを目的として転生しています。
既に光である部分に見惚れてしまっていては、そこで立ち止まってしまうのですね。

OSHOは言います。

荘子のような人は稲妻だ。

覚者は稲妻だ。私は稲妻だ。

私を見てはいけない、道を見なさい。

もし私を見たら、
あなたはすでに逃している――稲妻は一瞬の間しかつづかないからだ。

永遠が時間を貫く瞬間はめったにない。

それはまさに稲妻に似ている。

もしあなたがその稲妻を見たら、それはまさに稲妻に似ている。

もしあなたがその稲妻を見たら、
もしあなたが覚者の方を見たら――しかも覚者は美しい。

その顔は心を奪い、
その目は磁石のように引きつける――もしあなたがその覚者を見たら、あなたは道を逃している。

道を見なさい……道に従いなさい。



暗闇の中、道を見つけるのは困難です。
それは魂が成長するのも同じです。
光の部分に目を奪われず、常に闇の中から光を探す道を見なさいとOSHOはいうのです。



Crystal breath

        ピンクのアンスリウムの花言葉は「飾らない美しさ」
Crystal breath


神性な部分と言うのは、どんな人にも備わっています。
創造主の一部として生まれているのですから、誰にでもあるのです。

苦手な人に神性な部分を見出すことが出来たら…それは聖書で言う隣人愛のことです。

仏教でいう仏性も同じです。


一切衆生悉有仏性(いっさいしゅうじょうしつうぶっしょう)」

これは全ての生きとし生けるものには仏性が宿っている、
仏となりうる素質を持っているという教えです。

宗教上の言葉は違えど、私達には神や仏と同じく尊い部分があるのです。

そんな部分を他者に見出すのは、自分の中の部分を見つける事よりも遥かに難しいでしょう。
というのは、自分の中に見つけ出せてないものを他者に見出すことが出来ないからです。

苦手な人が表現してくれるネガティブな部分の裏側には、
自分が想像もしてない神性が隠されています。

だから先ず自分と向き合い、自分の中の神性なところを見つける。
そうすることで、他者の神性を見出すことが出来るようになるのです。




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クローバーあなたのハートに愛と光をクローバー