物質的なこの次元で生きていく上で、
私達には色々な場面で「責任」という負わなければいけない義務や任務があります。

仕事上の責任や、保護者としての責任、コミュニティーにおける責任等様々です。

「何か」に対する責任を持つとき、
自分が思いもよらなかった「結果」が生じる場合がありますね。

「こんなハズじゃなかったのに」とか
「こうなったのは○○が原因だ」とか
大抵人は心の中でその理由や責任転換の矛先を探そうとします。
ですが自分が負う責任からはやはり逃れることはできません。
そうなると今度は怒りや自己嫌悪というネガティブな感情を生みだします。

そしてそういうことを経験するたびに、今度は責任を取らないでいい立場を探します。


こうやって生きていて本当に責任を取らずに生きていけるのでしょうか?

自分の目の前に起こった出来事の全ては、自分が創りだした現実です。
例えそれが自分の思い通りの結果でなくても、
無意識にその結果を生みだしたのです。

結果を創り出したのですから、その責任は自分にあるのです。
それはよい結果、悪い結果に関わらず全てです。

これは自分の思考や言葉、行為が自由であり、
その自由から創造されたものなのです。
私達は完全なる自由を手にしているからこそ、その結果を創りだせたのです。

これがどれほど素晴らしい事か解りますか?

全てを自らが選べる自由を与えられているのです。
責任をもつということは、完全なる自由を手にするということなのです。


Crystal breath

           ルリタマアザミの花言葉は「権威」
Crystal breath-ぱーぷるはーと



私達は「自分人生の創造」の責任を取ることは出来ます。
ですが、他者の人生の責任を取ることは不可能です。

例えば子供。
成人するまでは保護・養育する義務が生じます。
それは生きていく上での最低限の衣食住と教育がありますね。

でも親だからと言って、その子の人生の責任は取れないのです。

若気の至りで道を踏み外しても、その子の人生です。
生活環境の大きな変化で進学させれなかったとしても、その子の人生です。

そもそも子供は自分の学びの為にその親を選んで生まれてきているのだから、
そういうことが起るのは必然だったのです。

他者に対しても同じです。

全ての個人は自分の現実を選択している、
ということを理解してください。

その人達に、何かを提案することはできます。
それによって、その相手が変わることができるかもしれません。

しかし、変化をその相手に押し付けることはできません。

新しい考え方をその人達に話すこともできます。
でも相手の観念はそれを受け入れないかもしれません。

一番最初に理解して欲しいのは、
あなたが他の人の人生の責任を取ることはできない、
ということです。

~バシャール~


自分の目の前に起こる現実は、自分が創りだしたものです。
他者と共有してる様に感じるのは、
同じ意識が引き寄せられた結果であり、
起こった出来事から学ぶことは各々違ってきます。

ですから、他者の人生の責任を取ることは出来ないのです。



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