Pray for Japan

今、この英文を知らない大人は日本にはいないような気がします。
2年前の震災で世界中が発した言葉ですね。

Pray=祈る。
この祈るということ、誰もが一度は経験してるでしょう。

愛する人が病気になった時、自分に災いが生じた時、
神社に出向き手を合わせ、仏壇の前で手を合わせ、
空を見上げながら心に思ったり…
特に信仰のない人でも祈る行為はしたことがあると思います。

人は自分の力量に限界があると思った時、常に外側に求めてしまいます。
だから大抵の場合、「この状態から救い出して欲しい」と祈ります。


そしてその祈りが叶わないと、「ほらやっぱり。神なんていない。」と
神否定に陥るのです。
信仰があればそのショックは大きいかもしれません。

でも祈りが届く場合もありますね。

この違いは一体何なのでしょう?

祈りの効果はその人の持つ霊力だと唱える人がいますが、
私はそうは思っていません。
私達の魂は、元は同じ所から生まれ、優劣はありません。
霊力があると言われるのは、今この世でたまたまその力を使う必要があったか 、または自分が心やカルマを解放した結果思い出しただけにすぎないからです。
誰でも同じ霊力は持ち合わせているのです。


Crystal breath

           サンダーソニアの花言葉は「祈り」
Crystal breath-おれんじふらわー


では何故、違いが出てしまうのでしょう。

それはその祈りに対する「心」の状態が違うからです。

例えば、最愛の人の手術の成功を祈る時と、
宝くじで一儲けしようと祈る時の心の状態はどうでしょう。

聡明な人ならもう解りますよね(笑)

宝くじ当選の祈りはエゴに満ちた願いです。

聖書には祈りについてこう書かれています。

「わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、
神はそれを聞きいれて下さるということである。」

~ヨハネ第一の手紙 5:14~


神の御旨(ぎょし)とはお考えやおぼしめし・意図することです。
神の意図に従って願い求めるのなら聞き入れて下さるということ。

純粋で愛に満ちた祈りは、神の意図に沿いますが、
エゴや欲にまみれた利己的な祈りは神の意図には沿わないのです。
だからいくら「これしか助かる方法はないから!」と思っても
祈りは届かないのですね。
神は別の方法があることをちゃんと知っているし、
それが欲に塗れているかも知っているです。


神の意図に沿っている場合でも、祈りの答えが必ずしも良い結果であるとは限りません。
神は常に最善のものを与えます。
それが私達からは困難な結果に思えるような事ですら、
祝福の様々な形の一つとして与えられるのです。
その状態から学ぶことの方が大きいということですね。


Crystal breath-ライン


祈る時の心の状態を説明すると、よく聞かれるのが
「自分の事を祈っても届かないのか?」です。

自分の事を祈る時、その理由がエゴと欲に支配されていれば無理でしょう。
キレイな祈りの言葉で飾ろうとしても、そこには偽善が含まれます。
また、「これこれこういう結果にしてください」と結果を求めた祈りも届きません。


神は常に最善のものを与えてくれるのに、「自分の望む結果以外は受け入れません」と、最初から受け取り拒否してるのと同じです。

『何も思い煩わないで、あらゆる場合に、
感謝をもってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、
あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。』

~ピリピ人への手紙4:6・7~


あれこれ考えて悩まずに、あらゆる場合に感謝の心を持って捧げる祈りを
神に知ってもらいなさい。
そうすれば、人が考えるよりもずっと崇高な神の平安が
救い主によって叶えられますよと聖書にも記載されています。

神に対する感謝の気持ちを忘れずに、自分の言葉と思いで祈る。

それが祈りが叶えられる方法なのです。