心の中の古い感情から始まって、観念・概念、プライド、執着と手放した旅の最後は
「エゴ」の手放しです。


エゴとは、エゴイスティック(egoistic)またはエゴイズム(egoism)の略で、
「自我」と訳されます。

自我を辞書で引くと「意識の主体」「自分・自己」と説明されていますが、
精神分析学の分野ではエゴの殆どが無意識的であると言われることから
「自我=意識」とは違うのです。

エゴの一番の活動は防衛です。
自分を守るために無意識的に防衛反応に出てしまうことは頻繁にあります。

それは「恐れの感情」から湧きあがる無意識的な防衛です。

エゴの特徴は自己中心的な考え方で、混乱を呼び、他者との分離の感覚や
攻撃性を見せたり極端な不安や心配、自分を特別視したり相手を批判したりします。


例えば誰かと言い合いになった時、
「相手は間違っていて自分は正しいと思う心」があったり
「相手が悪いのだから責任は全て相手にある」と思う心があったり。
「何故自分の事を解ってくれないのか?」と感じてみたり。
こんな風にエゴは心を占領していきます。

心の中の自我を抑えることができぬ者ほど
自身の驕慢な心のままに、隣人の意志を支配したがる。


~ヨハン・ゲーテ~

心がエゴに支配されてしまうと、本来の純粋な物の見方考え方からは
遠ざかってしまいます。

素直に相手を受け入れることも出来なければ、
新しく何かを始める希望すらも失ってしまい、
今の現状を維持しようとそこから成長することをやめてしまいます。


シオンの花言葉は『さよなら』


黄色い花黄色い花黄色い花黄色い花黄色い花黄色い花黄色い花黄色い花黄色い花黄色い花


エゴは甘い言葉で心に囁きます。

ですがそれは無意識的に起こるので、感情に押し流されてしまい
中々気が付きにくいものです。
一旦、自分の心を問題の外に置き、冷静になることでエゴが
だんだんと見えるようになるのです。

エゴを見つけるには先ず冷静に自分の行動や感情を見つめる必要があります。
心を内観していくのです。


自分の言った言葉の裏側にある恐れの感情を見つけるのは
向き合うことになるのだから大変な作業になることもあります。
見たくない感じたくない部分に向き合うのは勇気がいるのです。

そうやって自分の中のエゴに気がついた時、大抵の人は罪悪感を覚えます。
エゴを悪いものだと捉え、反省し、自己嫌悪に陥ったりします。

ですが、エゴとは本来自分の心が傷つかないように働いた防衛なのです。
一生懸命自分を守ろうとしただけなのです。
悪いものではないのです。
ただ少し、守り方が愛からズレてしまっただけの事。

ドイツの哲学者フォイエルバッハはこう言います。

「君が自我を放棄すればするほど君の愛は偉大なり、真実になる」


見つかった自我(エゴ)は放棄すればいいのです。

エゴは、消えてなくなるものではありません。
エゴがあったことを受け入れる、自分の心が必要です。
エゴを見守る観察者になればいいのです。
それがエゴを放棄するということ。

エゴを自由にしても、暴走して暴れ出すことはありません。

それがエゴだと解った時、意識的に「エゴによる思い」とは別の行動に移る事が出来るからです。
純粋な心、愛に基づいた行動をとればいいだけの事なのです。

エゴを手放そうと執拗に追いかけまわしては、堂々巡りです。

宇宙の法則に「それについて考えることはむしろその考えを増す」というのがあります。
エゴを手放そうとエゴに捉われていては、エゴの力はより大きくなってしまうのです。

エゴに気がつけば、それを意識的にコントロールすることは可能です。
そしてそれが、エゴを手放した・放棄したことになるのです。