自分に起きた出来事に対し、いつまでも怒りの感情や苦しみを背負ってはいませんか?
Forgiveness[赦し]とは人生の中で最も重要なテーマです。

※「赦し」は罪や過ちに対して使います。
「許し」は許可する場合に使用します。

何か許せない状況がある時、大抵の場合相手がいます。
出来事とその相手。この二つが絡み合うから物事を許せなくなります。

どんな状況にも「真実」というものがあります。

自分には自分の「真実」が、相手には相手の「真実」があります。

同じ状況を味わったとしても、捉える意識の違いや、それぞれの物差しで
「真実」は幾通りにもなるのです。
正しい・正しくないというのは、自分が勝手に定めた真実です。
相手の真実は全く別の物。

許すというのは、その状況をありのまま受け入れるということ。
そこには自分の感情も要りません。
相手の言葉も行動も、こちらの思惑を付加せず受け入れるのです。
「○○さんが▽▽と言った」だけでいいのです。
起こったことには一切の感情は不要です。
例えば相手が怒鳴っていても「相手が怒鳴った」だけ受け入れます。

こうやって一旦自分の心を問題の外側に置くことで、
出来ごと自体を許す心の幅が出来てきます。

イエスは十字架に架けられた時にこう言いました。

「主よ、彼らを赦して下さい。何故なら彼らは何をしてるかわからないのです。」

彼らとは、イエスを十字架にかけたユダヤの民の事。
冤罪を押し付け、人を殺めるということは、後に自分にその報いがくること(因果応報ですね)を
彼らはわかっていないのです。
彼らの魂は自分たちの行いの意味をわかっていないのですと言っているのです。

イエスとユダヤの民との意識の違いは明らかですが
イエスは自分に起きたこと全てを受け入れ、ユダヤの民を赦しています。


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私達は「許す」と聞くと、他人を許すことを考えますが
本当に許すべきは『自分自身』なのです。

自分を許すというのは、自分の過ちに目を瞑ることではありません。
自分の間違いを認めることです。


過ぎ去った出来事は忘れられても、相手に対する感情は癒えません。
怒り、憎しみ、悲しみ色んな感情は実は自分の心に刃を向けているのです。
こういった感情を持つ自分を許す必要があるのです。

間違いを認めると言うのは、「勇気」が必要です。
嫌な感情を持つ自分、見たくない部分と向き合う必要があるからです。

過ちを直視する時、自らを責めるのではありません。
自分を認め受け入れるということです。
自分を許すことが出来なければ、到底他者の許しはできません。


「他人を変えるには先ず自分が変わる必要がある」と何回も言ってるけれど
許しも同じです。

自分が自分を赦してこそ、相手を受け入れる心のゆとりが生まれます。
そしてやっと相手を許すことが出来るようになるのです。

許しに心の葛藤はつきものです。

向き合い、乗り越えるのには、痛みに直面する必要があるからです。
だけどそれを乗り越えた時、自分の心は大きな器となり成長するのです。

許しとは…魂を成長させる上で一番大きなポジティブなエネルギーなのです。