クリスタルの魅力の一つに、

持ち主の心がキレイだと石は透明になり

邪気を持っていたりすると曇る特徴がありますね。

それと同じで心がキレイな時は、自分のハートが光り輝いています。

人への愛もあるし、慈しみ、いたわりの心や感謝の気持ちもあります。
自分や他者の事を大切に感じることができ、思いやりと謙虚さも持ち合わせます。

心が濁る時はどんな時だと思いますか?

心が濁るということは、自分の中に愛がなくなる状態を言います。

誰かに対する恨みや憎しみの気持ちがあったり、騙そうとしていたり
威嚇したり脅威を与えたり。

素直さは消え、物事を偏見で捉えるようになってきます。
その為、誰かを傷つけたり争ったりするようになります。

だけど自分の心の状態は、自分では中々感じにくいものです。

悩み事や心配事で頭を抱えるなら、「ちょっとマイナス思考かな」と氣づくことはあっても、
一旦大きな問題に直面すると、人は自分の物差しで今起こっていることを見てしまうからです。

冷静に考えているつもりでも、思考と感情に惑わされ
相手が間違っていると決めてしまいがちになるのはよくあること。

自分の心を一旦問題の外に置き、互いの状況や感情をじっくり観察するのは
なかなかうまく出来ないですよね。

そういう時、心はどんどん光を失っていきます。

相手に対する感情が膨れ上がれば膨れるほど、心の光は濁ってしまいます。

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イエスは言いました。

体のともし火は目である。

目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、
濁っていれば、全身が暗い。

だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。


マタイによる福音書 6章22節から23節


人の心の中は瞳に映し出されます。

キレイな輝く瞳をしていれば、その人の心は美しく澄んでいるということ。

天真爛漫の子供の瞳はいつだってキラキラ輝いているでしょう?
無邪気=邪気がないから瞳が輝くのです。

反対に、

心が濁れば瞳は曇ります。

寂しさや悲しみに打ちひしがれる時にも瞳は影を創りだします。



「目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い」とは、

瞳が澄んで心がキレイな状態は、オーラも美しく輝いてるけれど、

瞳が濁っていると、オーラも光を失うということ。

心とオーラは直結しているのだから、当然ですね。


大人になると自分の心を隠そうとする為、人は表情を創ります。
にこやかに笑っていても心が泣いている人は沢山います。

自分の瞳はどうですか?