『無関心とは精神の麻痺であり、死の先取りである』
~チェーホフ~


無関心とは何事にも興味を示さないことですね。

人は、自分が楽しめる・得をすると感じる時、人や物・出来事などに興味を示します。
また大きな恐怖を感じる時にも、関心を持ちます。

何の興味も示さない、関心を持たないということは
人の可能性や成長を閉ざしてしまいます。

子供はどんなことにも関心を持ちます。
それが成長の過程であり、知識や心を育んでいきます。

「関心を持つ」というのは、人が生まれた時から持っているものなのです。

無関心であれば、今の世界情勢の悪化や戦争を止める事はできません。
原発も今以上に増えるだろうし、人に対しては誤解を受けることだってあります。

無関心であるということは、心を閉ざした状態です。

自分の心に制限をかけ、受け入れることをやめてしまった状態。
これでは何の成長もありません。
興味を示さなければ、知識も情報も得ることは出来ないのです。
これはまさに死んでいるのと同じなのです。

人生は心や魂を成長させる為の期間です。
生まれてから死ぬまで、ただ漠然と生きるのが目的でこの世に生を成したのではありません。
色んな事が身の回りには起こります。
全てに関心を持つことは限りがあるかもしれませんが、
少し気にとどめる程度ならば誰にでも出来ます。

今よりも少し器を広げる為にも、ほんの少し受け入れる気持ちを持ってみましょう。
それは必ず自分を豊かにしてくれますよ。

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「心を開く」

人を受け入れる気持ちがなければ、心は開きません。
それは愛のない状態なのです。
愛がなければ人に対して心開かないでしょう?

マザーテレサは言いました。

「愛の反対は憎しみではなく無関心です」と。

憎しみと言うのは、愛を得れなかった為に感じる単なる感情です。

無関心というのは、何の感情もありません。

自分の身内が亡くなれば、寂しさや悲しさがこみ上げるけど
全く見ず知らずの他人が亡くなってもそれは起こらないのと同じ。
感情が湧くことは殆どないでしょう?

無関心でいることは、他者への愛がない状態なのです。

人は愛を欲しがりますが、人に愛を与えることはあまりしません。
愛を与えたつもりになっている場合が殆どです。
だから無関心になってしまうのです。

関心があれば、相手の事を思い考えます。
そこには慈愛の気持ちや労わりの心が芽生えます。
人を愛する心が養われてくるのです。



自分が与えたものが自分に還ってくるという法則があります。

愛を与えれば、愛は必ず還ってきます。



無関心でいることは心を閉ざした寂しい事。
自分で自分の心に制限をかけてしまわないように、関心の扉を少しあけてみましょうね。