日本は感情をあまり表に出さない事が美徳になっています。
でも海外の人は、韓国や中国のアジアも含めて思いっきり感情を露わにしますね。

この違いは、文化の違いも重なってるけど
主に、親や学校などから「怒ることは悪いこと」という観念を植え付けられたからです。

「人に優しくしましょう、喧嘩はいけません」って教えるでしょう?
それは外から植えつけれられた思いこみなんです。

ブッダは仏教で「怒ってはいけない」と説きました。

でも本当はそれは間違った捉え方をされただけなのです。

ブッダが言いたかったのは、

怒りには怒りで返すのではなく、自分の心の怒りを静めることで
相手にも自分の怒りにも勝つのだよということ。


決して「怒り=いけないこと」とは言っていないのです。

怒りを露わにした人に、イエスがいます。
聖書でも彼が鞭を振りまわして怒った出来ごとが書かれてます。

怒りって、良い事でも悪い事でもないのです。

怒りがなければ、原発は止まらないし、戦争だって止まらない。
動物は餌や縄張り取られたら怒るでしょう?
怒りは本能の一つ、自分を守る為にも必要な感情の一つなのです。

だから喜怒哀楽の「怒」をなくす必要はないのです。

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本心を語りましょう

問題はね、その怒りをどう表現するかって事なのです。

怒り狂って暴言を吐く人、暴れる人。
スネる人、黙る人、我慢する人。

色んな表現方法があるでしょう?

脳が感情を処理できなくなると、「もう無理!後は任せた!」って体の各部分にその感情を
押し付けることが解っています。

怒りという感情は、肝臓に関係があります。
怒ることを上手く表現できないでいると、肝臓が本当に病気になるのです。


怒りの感情がこみあげて、イライラするのは、人間の本能。
決して悪い事ではありません。

我慢しちゃうことの方が、返って体に悪いのです。
溜めこんでしまうのは美徳でもなんでもないのです。

怒りの感情の奥にどんな感情があるかを探していくと
必ず、自分のして欲しかった事や求めていた感情が隠れています。

それを先ず見つける。
そして自分にそういう感情があった事を認める。

それが出来たら、次は相手に伝えることです。

人は言葉を話します。

言葉のない時代はテレパシーで会話をしていました。
なので、相手の感情がモロに伝わり、打ち解けあうことは簡単でした。

でも今はそれが出来ません。
だから、言葉で伝える必要があります。

自分の心の中は、自分以外誰も解りません。
相手に伝えなくて、どう理解して貰いますか?
「言わんでも解るやろ!」は自分の物差しで見た、自分の都合。

相手は視点が違うから、伝えなければこちらの意図は解らないのです。
それは大人も子供も同じ。

優しさが欲しかったら、それを伝える。
労わりが欲しかったら、それを伝える。

我慢して心に仮面を被り、良い人を演じていたら自分の心が病気になります。

「これを言ったら嫌われる?」

「本音を言ったら相手が傷つく?」

なんて思いは必要ないのです。
どう捉えるかは相手側の問題であり、傷つくか受け止めるかは相手の心次第なのです。

我慢して偽物の心の平安を装っても、それは本当の幸せには程遠いのです。
だって、相手にいつまでも伝わらないから、ずっと我慢し続けるか、
また同じことが繰り返されるのだもの。

心を開いて、ありのままの自分を見せ、
本音で話す時お互いの気持ちが初めて理解し合え、
真の心の平安が訪れるのです。