最近、「精神世界未体験」という方が周りに溢れております。

mixiの日記やアメブロに辿り着く人は、
少なからずスピリチュアルなことを知ってる訳で、
「アセンション」とか「五次元」とか普通に書いても
大まかなことは理解して貰える。


だけどそういうの興味もない、いわゆる「目覚めてない人」と呼ばれちゃう人も
まだまだ沢山いらっしゃいまっす。


で、最近接してる人達ってのが


タイガーアイのブレス→金運上がるらしいから着けてみる!
オーラって言葉→江原さんのテレビは見てたよ!

くらいの意識の人達。


何かを捉える視点も全く違います。


自分の過去の知識と体験の中だけの枠の中で全てを決めてしまう「観念」。


自分はこうして欲しかったを主張する「エゴ」。


起こった出来事は全部人のせいにする「自己責任の放棄」。


普通の日常会話ってこんなのだったのか?と思う程、
重さを感じてしまいます。
私の拙い話でさえ、「ほ~。へぇ~。あ!そうなんだ!凄い納得する!」と言われます。
何を納得してくれたのか・・・解りませんが。


自己探求してない人に、スピリチュアルな事全面に押し出しても
話は理解して貰えないから砕いて砕いて・・・


人に何かを伝えるのは、本当に自分が理解してないと難しいと思います。


しかし、この現状私は何を見せられてるのだろうか??


自分の周りに起こることは、自分が創造したもの。
相手は自分の鏡。
そこから何を学ぶかで、自分の心の闇は光の側面を映し出す。


「この人に視えるものは自分の内にあるか?」


自分の内に無いものは、外側には投影されないから必ずある。


光の側面を見せる人、闇の側面を主張する人
何処かに自分の中のまだ残る隠れた部分を見つける鍵になる。


そうすると、「あれ?この部分ってもう解放したハズ」という部分に突きあたります。

実はそれは蓋が開いただけで、まだもっと深くに眠る
愛や闇をその時は見つけられなかったということ。


過去世から来る因縁・因習、(現世の)過去の感情・思考は
複雑に絡み合っていて癒やされたと思っていた部分から
まだまだ学べることは沢山あるのです。


そういうのを一つ一つ探りながら、また新しい学びを頂く。


そんな事を繰り返していくうちに、


今まで闇の側面を見せつけてくれた人たちですら、


愛おしく思えるような気持ちになれる。


慈しみ愛するということは、こういう事をいうのではないかなと思うのです。


光の中には自分の愛が隠れていて

闇の中には光を見つける要素がいっぱい。


今、素敵な毎日を送ってる人も、
困難な状況に身を置く人も、

全てはそこから学べるよ。


光の道へ・・一緒に歩もうキラキラ